KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)

主に作家の日垣隆、猪瀬直樹、岩瀬達也、岡田斗司夫、藤井誠二などを検証しているブログです。

赤頭巾ちゃん、オオカミ中年に気をつけてー検証・日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(補論D)

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日垣隆の弟さんの死因に関して、その真相をご存知の方からの情報提供をお待ちしています。下記のメールアドレスまでご連絡下さい。
kafkaesque1924@gmail.com
※2013/3/4追記:エントリーを更新しました。脚注(出典)を追加。


●刑法39条は、精神障害者に対する差別条項?

日垣センセイは『そして殺人者は野に放たれる』(新潮文庫、平成十八年十一月一日発行/平成十九年二月二十日四刷)の[第4章 精神鑑定は思考停止である](P79〜93)の中で、1984年3月12日に起こった横浜市立東高校生4人殺傷事件を取り上げています。犯人のC(仮名)が起訴前鑑定の結果、統合失調症と認定され、不起訴処分を経て措置入院*1するも比較的短期間で退院し、その後は健常者と大差ない日常生活を送っているらしいことを強く批判しています。因みに、事件はCの単独犯でした。

※日垣センセイの原文では、実名が明記されていますが、事件関係者存命などの可能性に考慮して、引用文でも仮名にしています。尚、この改変は著作権法20条2項4号の「やむを得ないと認められる改変」にあたると考えています。

なお、横浜市立東高校生四人殺傷事件の犯人Cは、不起訴処分後、措置入院となったものの、わずか三カ月で開放治療に切り替えられ、その四カ月後には自宅に戻り、さっそく愛車を乗り回している。“病気”が治ったのなら、改めて裁判を通じて刑に服すべきではないのか。

日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(新潮文庫、平成十八年十一月一日発行/平成十九年二月二十日四刷)P93


さらに、文庫化に際して医療観察法(心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律)の存在を「無かったこと」にするために削除された単行本の「あとがき」*2では、こんなことも言っていました。

現在、「再犯の恐れがある精神障害者」を強制隔離しようとの立法がなされつつあるのですが、これは二重三重に間違っています。問うべきは犯罪の「結果」であって、健常者にも障害者にも等しくある「再犯の恐れ」などという不確実な要因で拘束を合法化することではありません。男性や少年に凶悪犯罪者が多いからといって、予防拘禁することが許されるでしょうか。そしてまた、この半端な立法は、諸悪の根源たる刑法三九条をそのまま放置することによって、事実関係を法廷で明らかにするという憲法の大原則を踏みにじるものです。

他方で、この立法措置に何が何でも反対を唱える頑迷勢力は、精神障害犯罪者には刑罰は必要なく医療だけで臨むべきだ、という不健全な主張を続けています。彼らにも、凶悪犯罪の「結果」が全く見えていないのです。その構図も、本書*6で具体的に描いて(原文ママ)おきました。

日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(新潮社、2003年12月20日発行)P250


また下記のような発言もしています。

こうした重大な欠陥ばかりをもつ日本の刑法三九条は、精神障害者を半人前として扱い、名誉も人権も認めようとしない非人間的な欠陥条項である。

古代や中世の慣習法においても、裁判能力をもたない、ということはすなわち自らの権利を守る能力すらない名誉なき賤民と見なされてきた(阿部謹也『刑吏の社会史』中公新書)。

このような度し難い時代錯誤に、日本は、あまりにも遅ればせながらだが、断固として終止符を打たねばならない。

日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(新潮文庫、平成十八年十一月一日発行/平成十九年二月二十日四刷)P299


上記の日垣センセイの記述を意訳すると、刑法39条が触法精神障害者*3への実質的な免責事項になっているため、法廷での事件の真相究明を阻む壁になっている。むしろ精神障害者から裁判を受ける権利を剥奪しており、これこそ彼らに対する差別で、非人間的な欠陥条項だ。触法精神障害も治療を受けて病状が回復したのならば、改めて裁判を受けるべし……とのことです。

果たして刑法39条は、精神障害者から裁判を受ける権利を剥奪しているのでしょうか?


精神障害と反精神医学

日垣センセイの論理は、一見すると、最もな正論であり、かつ人道主義的に思えますが……実は精神障害全般の症状及び病態像に対する無知・偏見・誤解に根差したものだと言わざるをえません。

まず検察官が心神喪失などで不起訴処分にするのは、大抵の場合、対象となる触法精神障害者が犯行時に症状を劇的に悪化させていて、事件後に裁判を受けさせても「無罪」判決が下るのが確実だからです。日本の刑事裁判の有罪率は約99%と言われています。日本の検察当局は無罪が確実な案件は起訴しない(立件を見送る)傾向が強いです。検察官も、ただでさえ多忙なのですから、わざわざ余計な時間と費用と労力を要求された挙句、無罪になる可能性が高い刑事裁判など徒労とみなしているそうです*4

そもそも触法精神障害者が何らかの事件を起こすのは、それだけ精神障害の症状を悪化させている証左であり、無理に裁判を受けさせることは極めて困難なケースが大半です。力ずくで受けさせても、公判を維持することさえままならないでしょう。それでは、法廷で事件の真相を明らかにせよなど、土台、無理な相談です*5

むしろ何が何でも裁判を受けさせようとするのは、触法精神障害者から治療及び保護を受ける権利を剥奪するものであり、別の意味で「人権侵害」と言えます。従って不起訴処分にして、早急に医療ルートに乗せることは妥当な判断と考えられます*6

また「“病気”が治ったのなら、改めて裁判を通じて刑に服すべきではないのか。」という主張も、全くの的外れです。

刑法39条で「心神喪失」「心神耗弱」となる触法精神障害者の多くは、重篤統合失調症です。その場合、本人に病識*7が無く、自発的に治療を求めるのも少ないため、継続的な治療が困難なケースも珍しくありません。治療に当たっても、結局は精神科病院などの専門の医療施設に入院させざるえないのです*8

大体、統合失調症は、通常の身体疾患のように治ることはまずないです。統合失調症に限らず、精神医学では精神障害に「完治」の概念はありません。あるのはせいぜい寛解*9ぐらいです*10。特に統合失調症の場合、再発のリスクは消えないため、例え回復して社会復帰が可能になっても、基本的には一生、精神科病院への定期的な通院を余儀なくされます。そうした常に不安定な状態のまま、多大なストレスと緊張感を強いられる刑事裁判を受けさせることは、徒に再発のリスクを高めるだけです。裁判がきっかけで本当に再発した場合には、どうするのでしょうか。再発しても治療して回復したら、再び裁判を受けさせればいい……では、無理筋でしょう。

さらに言えば、統合失調症の触法精神障害者の場合、犯行時の記憶が完全に欠落しているというか、自分が事件を起こしたことが全然分からないことも度々あるらしいです。統合失調症は脳の先天的な機能障害が一因ともされており、心神喪失状態の時に自分が何をやっていたのか、後に回復しても当時の状況を全く認識できないことも珍しくないそうです*11

そもそも本書*12に限らず、日垣センセイの複数の著作*13にみられる精神障害への理解は、いわゆる反精神医学の理論に極めて近いものです*14

反精神医学とは、イギリスの精神科医ロナルド・デヴィッド・レイン、デヴィッド・クーパー、ハンガリー出身のアメリカの精神科医トマス・サズなどによって1960年代〜1970年代にかけて欧米諸国を中心に広がった精神医学界の一大ムーブメントのことです。彼ら反精神医学のグループは、統合失調症も含めた全ての精神障害は社会が貼ったレッテルに過ぎず、実在しないものであるとして、従来の精神医学の在り方に根底から疑義を呈しました。「狂気=病気=異常」などありえない、と強硬に主張したのです*15

特にトマス・サズは1972年に出版した自著『精神医学の神話』(邦訳の版元は岩崎学術出版社、第1刷1975年5月10日。訳者は河合洋、野口昌也、畑俊治、高瀬守一朗、佐藤一守、尾崎新。)で、「統合失調症の存在自体が神話であり、虚構である」という論考を発表し、統合失調症の存在自体を完全否定するに至りました。加えて、サズは統合失調症の触法精神障害者は、犯行時に心神喪失状態であっても、刑事責任を問うべし、と主張したのです。統合失調症精神障害者にも、健常者同様に刑罰を加えることこそ、彼らに対する人道主義的な扱いであり、偏見及び差別撤廃の人権擁護につながるというのが、その論旨でした*16。上記の日垣センセイの主張と、ほぼ一致していると言えます。

こうした反精神医学の考え方は、日本でも一部の精神科医の間で熱狂的な信奉者を生みました。しかし、その後の実証によって、現実に全くそぐわない机上の空論で、理屈倒れの極論に過ぎないことが判明し、現在の精神医学界では、ほぼ完全否定に近い扱いを受けています*17 *18

とどのつまり、日垣センセイは、何十年前の「実験(実証)」によって、歴史的大失敗に終わった反精神医学に酷似した認識に基づいて、デタラメな批判を繰り返しているのです。本書が専門家、とりわけ精神医学界から殆ど相手にされていないのも、それが一因と推定されます。本書で日垣センセイが、精神医学の延長線上で実施されている精神鑑定の科学性を否定していた件*19も、自然科学としての精神医学を間接的に否定した点で、反精神医学の認識に立脚していたと言えます。くどいようですが、何で本書のようなP&G(パクリ&ガセ)を満載したトンデモ本*20に、第3回新潮ドキュメント賞が贈られたのか……。そもそも版元の新潮社は校閲を本当にやっていたのか。ここまで来ると、個人的には、もはや怒りや驚きや呆れを通り越して、哀しくなってきます。



★参考資料

Amazonレビュー:感情的対立を煽るだけの悪しきジャーナリズム

Amazonレビュー:法律学の本ではない

「反精神医学」

阿部あかね「1970年代日本における精神医療改革運動と反精神医学」

岩波明『精神障害者をどう裁くか』(光文社新書、2009年4月20日初版第1刷発行)

小田晋、作田明、西村由貴『刑法39条 心の病の現在』(新書館、2006年1月25日初版第一刷発行)

岩波明『狂気という隣人』(新潮文庫、平成十九年二月一日発行)

刑法

刑法 (日本) - Wikipedia

精神鑑定 - Wikipedia

責任主義 - Wikipedia

責任能力 - Wikipedia

統合失調症 - Wikipedia

向精神薬 - Wikipedia

治癒 - Wikipedia

精神科 - Wikipedia

精神障害 - Wikipedia

措置入院 - Wikipedia

心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律 - Wikipedia

渡邊芳之 - Wikipedia

裁判を受ける権利 - Wikipedia

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

精神障害者をどう裁くか (光文社新書)

精神障害者をどう裁くか (光文社新書)

狂気という隣人―精神科医の現場報告 (新潮文庫)

狂気という隣人―精神科医の現場報告 (新潮文庫)

赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)

赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)

赤頭巾ちゃん気をつけて [DVD]

赤頭巾ちゃん気をつけて [DVD]

*1:現在ならば精神保健福祉法に基づく「措置入院」ではなく、医療観察法の適用対象になった可能性が高いと推定される。→赤頭巾ちゃん、オオカミ中年に気をつけてー検証・日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(その伍) - KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)

*2:赤頭巾ちゃん、オオカミ中年に気をつけてー検証・日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(その伍) - KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)

*3:いわゆる殺人、放火などの法に触れる重大な他害行為をした精神障害者

*4:岩波(2009年)P150〜151

*5:岩波(2009年)P150〜151、P167〜168

*6:岩波(2009年)P150〜151、P167〜168

*7:医学用語で病気の自覚。

*8:岩波(2009年)P150〜151、P167〜168

*9:医学用語で、治癒に似た安定した状態。

*10:岩波(2009年)P150〜151、P167〜168

*11:岩波(平成十九年)P139〜140

*12:日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(新潮社)

*13:日垣隆サイエンス・サイトーク ウソの科学 騙しの技術』(新潮OH!文庫、2000年12月10日発行)P63〜123、日垣隆『それは違う!』(文春文庫、2001年12月10日第1刷)P203〜215、日垣隆『敢闘言 さらば偽善者たち』(文春文庫、2002年4月10日第1刷)P285〜287、日垣隆『情報の「目利き」になる!−メディア・リテラシーを高めるQ&A』(ちくま新書、2002年9月20日第1刷発行)P138〜139、日垣隆偽善系―正義の味方に御用心!』(文春文庫、2003年5月10日第1刷/2006年12月20日第2刷)P203〜245、日垣隆現代日本の問題集』(講談社現代新書、2004年6月20日第1刷発行)P199〜228、日垣隆『エースを出せ!脱「言論の不自由」宣言』(文春文庫、2004年9月10日第1刷)P163〜188、日垣隆『世間のウソ』(新潮新書、2005年1月20日発行/2006年3月10日11刷)P100〜107、日垣隆『急がば疑え!』(日本実業出版社、2006年2月10日初版発行)P68、日垣隆『いい加減にしろよ(笑)』(文春文庫、2008年10月10日第1刷発行)P139〜169。

*14:小田・作田・西村(2006年)P21

*15:小田・作田・西村(2006年)P21〜28、岩波(平成十九年)P158〜160、同(2009年)165〜168

*16:小田・作田・西村(2006年)P21〜28、岩波(2009年)165〜168

*17:小田・作田・西村(2006年)P21〜28、岩波(平成十九年)P158〜160、同(2009年)165〜168

*18:但し、心理学者の渡邊芳之氏によると、欧州では未だに一部で根強い影響力があるらしい。→前にも書いたが,ヨーロッパの精神障害者福祉の世界では「反精神医学」は歴史的にものすごい大きなことだったし,依然としてその影響力は大きい。これは日本だけ見てると想像がつかないことがある。 オランダの研究者に日本の制度について「どうしてそうなの?」と聞かれたときにまず「日本では反精神医学運動があまり力を持たなかった」ということから説明しなければならなかったのは印象的な体験。 togetter「ブラよろの作者本人@shuhosatoが俺の批判感想に突撃してきたでござるの巻」

*19:赤頭巾ちゃん、オオカミ中年に気をつけてー検証・日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(補論C) - KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)

*20:赤頭巾ちゃん、オオカミ中年に気をつけてー検証・日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(結論) - KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)