・同人誌の既刊本が国立国会図書館の東京本館及び京都府の関西館内にて閲覧可能になっています。御興味があられる方は、同館にお越し下さい。
「ガッキィハンター 日垣隆検証本vol.1『そして殺人者は野に放たれる』の大研究 増補改訂版」
・同人ダウンロードショップのDLsite.comにて、同人誌の既刊「ガッキィハンター 日垣隆検証本vol.1『そして殺人者は野に放たれる』の大研究 増補改訂版」及び「猪瀬直樹検証本 作家篇」の電子書籍が販売中です。
「ガッキィハンター 日垣隆検証本vol.1『そして殺人者は野に放たれる』の大研究 増補改訂版」
ファイル形式はPDFファイル、価格は「ガッキィハンター 日垣隆検証本vol.1『そして殺人者は野に放たれる』の大研究 増補改訂版」が1,540円。「猪瀬直樹検証本 作家篇」が1,100円です。
・初めて当エントリーを読まれる方は「日垣問題の記録 〜 日垣隆 研究報告 〜」、「日垣隆(Wikipedia)」、「ガッキィスレまとめサイト@ウィキ」の御一読をおススメします。
・当ブログへの御意見・御感想は、下記のメールアドレスまで御連絡下さい。日垣センセイの学生時代など、情報提供もお待ちしております。情報源の秘密は厳守します。また、貴重な情報をお知らせいただいた方には、謝礼も検討していますので、宜しくお願いします。
higakitakashikensyoiinkai@gmail.com
●約10カ月ぶりの更新……!?
大変恐縮ではございますが……これまた、ず、ず、随分と、ご無沙汰しておりました。
新年のご挨拶以来、約10か月ぶりの久々の更新になります。悪しからず、ご了承下さい。
さて、ずっと半ば休眠状態だった当ブログを「また」再起動することになったキッカケは……Facebookでの更新も数ヶ月前に途絶えてしまった日垣センセイご本人の消息もさることながら、9月30日、同い年の唐沢俊一の訃報が飛び込んで来たことにもあります。
既に別ブログ『亀田俊和検証委員会』でも簡単に取り上げましたが、ほぼ同時期に、同じ幻冬舎新書で第一の盗用事件が発覚するなど、日垣センセイとも共通項が多かった唐沢の孤独死は……ある意味、センセイご本人にとっても、決して他人事では無いからです。
不謹慎な言い方で恐縮ながら、何年か前、或る日垣ウォッチャーのお方とも「日垣と唐沢、先に業界から完全に消えるのはどちらか?」などと、喧々諤々の議論になった覚えもあります。
自分が日垣センセイの動向を遠目で見守っている間も、 伊達邦彦さんは粘り強くヲチして下さいました。
改めまして、伊達さんには、この場をお借りして、謝意を表したいと存じ上げます。
※以下のポスト(旧ツイート)などは、ご参考なまでに掲載したものであり、自分はこれらのご見解に賛同している訳ではありません。宜しくお願い致します。
唐沢俊一についてポストしている人は多数いるが、弔意というものがあまり感じられない。
— 伊達邦彦 (@miteguy) 2024年9月30日
随分前に〈終わったひと〉だからしょうがない。
さて、同世代の日垣隆も4ヶ月以上前に音信が途絶している。
公式サイトもメルマガもやめ、Twitterもやめ、Facebook投稿が唯一の発信だったのだが。
某の訃報に接して、そういえば日垣隆は最近どうしているだろうかと検索してみたら、そちらも音信が途絶しているらしかった
— 事務屋 (@JimuyaW) 2024年9月30日
ぼくも日垣隆のことを思い出していた
— Uematsu, H (@huemat) 2024年9月30日
このXで知った唐沢俊一氏の死去も孤独死だったという。生存確認ボタン、それに近いXでのつぶやきということを考えさせられる。「僕だって、この年から孤独死に怯えたくなかった」28歳男性が語った“異常な家族”との壮絶人生(週刊SPA!)#Yahooニュースhttps://t.co/NlFmoB8eBR
— 大泉千路 (@oizumichiji) 2024年9月30日
唐沢俊一氏の晩年は盗作問題もあって他者から見れば寂しいものだったよう。同じく日垣隆氏も消息不明で心配。
— 大泉千路 (@oizumichiji) 2024年9月30日
#日垣隆 さんが、facebookで今年度末までに1ドル169円はいくと断言していた。あと、今年の夏に某大手銀行が潰れるとも。結果は....?ここ数か月投稿がないんだけど、どうしたのかな?
— 為替隊長 (@masayk_30) 2024年9月29日
……やはり、伊達さんだけではなく、唐沢俊一の突然死によって、反射的であれ、今や消息不明の日垣センセイのことを想起された方々も多いようでした。
※以下のポストなどは、ご参考なまでに掲載したものであり、自分はこれらのご見解に賛同している訳ではありません。宜しくお願い致します。
日垣隆先生,5歳でバチカンの情報機関で働き始め,6言語ネイティブになったという自慢。
— 伊達邦彦 (@miteguy) 2024年1月8日
なんか,自分の,不遇かつすでに終わってしまった人生を悔やんで妄想に逃げ込んでいるのはわかる。
おそらく困窮もしているのだろう。 pic.twitter.com/hoUvqKDMRH
日垣隆は5歳からバチカンの情報工作員をしているという設定を自分のプロフィールに追加している。
— 伊達邦彦 (@miteguy) 2024年2月19日
「自分を大きく見せたい」欲望は抑えきれなくて、日本語以外の様々な言語で出版してベストセラー、会社経営、カジノで無敗などという「自慢」がわかりにくい粗末な日本語で投稿されている。 pic.twitter.com/Q3AlEbs9gu
日垣隆、「カトリック諜報政策最高幹部」だかは他の投稿では5歳からだと自慢していたのに、15歳に変更。
— 伊達邦彦 (@miteguy) 2024年2月24日
定期的に吐露する希死念慮をまたも書いてる。 pic.twitter.com/q93iBZmY6o
日垣隆先生は、4歳でローマ法王の従者となって5歳からバチカンの情報機関で働いているという設定になっている。高校時代は日本で過ごしたという設定を書いている。事故死で賠償金も貰った弟は殺されたということに固執している。 pic.twitter.com/LmkGtizTI7
— 伊達邦彦 (@miteguy) 2024年3月26日
元作家・職業不詳の日垣隆先生は、いまから12年前にネットの集合知によって虚偽とオツムの程度が暴かれて作家生命を失った。傷が疼くと町山氏の悪口を控えめに書く。
— 伊達邦彦 (@miteguy) 2024年4月14日
いまは「4歳のときからバチカンの情報工作員として活躍しいまに至る」という妄想をFacebookに書いている、 pic.twitter.com/2gPiTQdvLI
2016年の闘病記出版を最後に、売文屋家業を終えた日垣隆先生、スペイン語、ドイツ語、フランス語などの言語、別名義で執筆しているという設定で自分を慰撫。
— 伊達邦彦 (@miteguy) 2024年5月8日
だが、同一ページに日本語執筆をやめた時期は「8年前」「6年前」と統一してない粗雑さ。
公式サイトURLもドメイン料不払いで失効したもの。 pic.twitter.com/KVbA2kAk95
日垣隆先生、唯一の文筆活動であるfacebookへの妄想投稿が3週間ほど行われていない。
— 伊達邦彦 (@miteguy) 2024年5月31日
季節の変わり目で抑鬱状態なのか?
もしやケータイ料金にも事欠く状況なのか? pic.twitter.com/baR39QaxRU
日垣隆、50日ほど前に最後の言論活動にして生存確認手段であるfacebook投稿止まって現在に至る。
— 伊達邦彦 (@miteguy) 2024年7月2日
嘘と妄想を書くことに飽きたというだけだったらいいんだけれども・・・ pic.twitter.com/qyLETp1lVC
消えてしまった作家、その最後の執筆活動(だが経済的な実入りはない)ももう止めたようだ。
— 伊達邦彦 (@miteguy) 2024年7月22日
自分の生い立ちを書き換えて、Facebookで披露していた。
バチカンの情報工作員として4歳から暗躍し、法皇の右腕として世界情勢に関わってきた、と。
奇怪なのはFacebookでは大学の先生、複数の会社のCEO、博打打ち、株で巨万の富を得た人としての活躍も綴られてきたこと。
— 伊達邦彦 (@miteguy) 2024年7月22日
「妻」がフィリピンの英語講師だったり、東京都庁職員だったりもした。
ローマを拠点に世界を飛び回っている設定だが、瞬間移動が可能らしかった。
日垣隆はいずこへ?
今、そんな状況ですか。
— Dark Knight (@DarkKnight_jp2) 2024年7月22日
まず、プロフィール、精神の状態を類推するにあまりあると思います。
— 伊達邦彦 (@miteguy) 2024年7月22日
公式サイトはドメイン維持料を払わず消えたようです。
投稿も、売文業をしていたと思えないわかりにくい文、スマホのスクリーンショットの多さは彼の過ごす時間を推しはかれると思いました。https://t.co/T3KtiSLIcC
地裁で開かれる裁判を記録する方のツイートから、彼が経済的に苦境にあることがわかります。https://t.co/BhZ0YeuuT6
— 伊達邦彦 (@miteguy) 2024年7月22日
彼に関しては、家族、係累からネグレクトされていると感じます。
2月10日 今日
— 地裁でひっそり/開示請求 (@chisaidehissori) 2023年2月10日
エクシア
10:50 弁論 出資金請求事件
個人
エクシア合同会社
令和4年ワ
804 32部
第一回 令和5年1月10日
10:50 第一回 貸金返還等請求事件
個人
日垣隆
令和4年ワ
723 49部 (令和4、7件目)
バチカンの情報工作に従事、ローマ教皇と一緒にNetflixを鑑賞する仲だという日垣隆、パリオリンピックの「最後の晩餐」弄りに反応するかと思ってもFacebook投稿は途絶のまま。
— 伊達邦彦 (@miteguy) 2024年8月4日
措置入院、孤立死、埋められたとかいうウシジマくん的状況、そういう末路を想像せざるを得ない。
二番煎じのビジネス本、新書売れず→盗作発覚で雑誌連載は「週刊現代」コラムのみ→有料メルマガ開始→SNSで多方面に喧嘩うるも、敗北逃亡→紙出版途絶、粗末な電子書籍を乱発するも売れず→起死回生の脳梗塞からの奇跡の復活不発→Facebookで妄想投稿→それも途絶えて4ヶ月。
— 伊達邦彦 (@miteguy) 2024年9月19日
日垣隆はいずこ。
「4歳でローマ法王の従者となり、5歳の頃からバチカンで情報工作に従事、EUの顧問として世界を駆け回っている」なんて自慢げに書いていた人がいます。
— 伊達邦彦 (@miteguy) 2024年9月26日
日垣隆というんですけど。
今は消息不明の状態です。
実は、最晩年の唐沢俊一は……死の約2ヵ月前のXにて、例によって例の如く、町山智浩さんへの悪口を書き散らす中で、日垣センセイのことにも言及しておりました。
管見の限りでは……恐らく、唐沢俊一が公の場で日垣センセイご本人について触れたのは、これが最後だったかとも考えられます。
既に多くの指摘があるように、唐沢俊一本人は……二言目にはフェミ・リベラルに呪詛まがいの言葉を吐いて、ネトウヨ軍団から「いいね!」を貰って承認要求を満たすこと位しか、晩年の生き甲斐がなかったのでしょう。
思えば、日垣センセイも、末期はネトウヨ化が急速に進んでいた感もあります。無論、町山さんを必要以上に敵視し、逆恨み同然の八つ当たりを繰り返していた点等も。
正直なところ、こんなところまで、ある意味、唐沢は日垣センセイに似なくても良かったものを。嗚呼……!?
※以下のポストなどは、ご参考なまでに掲載したものであり、自分はこれらのご見解に賛同している訳ではありません。宜しくお願い致します。
その平和憲法で発展した時代の防衛を米国の軍隊に担わせていたことは無視する左翼平和教の身勝手なリクツw。平和の担い手だった米軍を、どうしてあなた方は拒否するんでしょうね? そういうイビツな形の平和維持を正して、自国は自国で守るべきとアタリマエのことを主張しているのが改憲派なのですが。 pic.twitter.com/wV9V0mDJYH
— 唐沢俊一(そろそろこっちが本アカ) (@QMb170343) 2024年7月30日
町山氏、かつて上杉隆のデマを正論で批判してたのでありましたが、単に酔っ払いが酔っ払いの説教をしてただけだったのか、と。落語ので親子酒そのまんまですね。
— IKA (@ika_river_c) 2024年7月31日
日垣隆ともやりあっていて、「"隆"という名前の人物が嫌いなのか」と思っていました(笑)。
— 唐沢俊一(そろそろこっちが本アカ) (@QMb170343) 2024年7月31日
小田嶋隆氏の立場が危うくなった記憶が(笑)。まあ共闘してデマ批判やってましたけど。タカシハンターとか言われてましたねぇ。
— IKA (@ika_river_c) 2024年7月31日
平和憲法と非暴力は大事でしょう。それと米軍批判は矛盾しない。くだらないことを言うな。 https://t.co/6P9ZUTgGR7
— 岡和田晃_Akira OKAWADA (@orionaveugle) 2024年7月30日
「亡くなってから自分が知った唐沢俊一氏の悪事」で、サッカーチームどころかフロントやユースまで含めたサッカークラブが作れそうな勢い…(ここまでひどいとは) https://t.co/wNufbsCThI
— 斉藤地獄堂 (@SAITOHJIGOKUDOH) 2024年10月10日
唐沢俊一さんと「皮肉の時代」の死|CDBと七紙草子https://t.co/Rf5PvbiolG
— geek@akibablog (@akibablog) 2024年10月2日
「SNSで知る唐沢俊一氏は、ほとんどあらゆる人に恨まれ、嫌われていた。マンガ化した実の弟であるなをき氏も含めて」
唐沢俊一の急逝後、Xで唐沢をチヤホヤしていたネトウヨ軍団は……好例として、歴史学者・亀田俊和氏の信者や取り巻きなどの「御伽衆」や、呉座・日本史界隈等の大多数が、ごく一部を除いて、弔意を表するどころか急死そのものにさえも一切触れようとしない。
それどころか、唐沢の死後、改めて浮き彫りになった数々の悪評及び悪行、スキャンダルなどに、亀田氏らはドン引きしているような気配さえも伺えます。
よく「保守」は義理人情に厚いが、「フェミ・リベラル」は冷淡そのものである、などという俗説もありますが……少なくとも、唐沢俊一が「キング・オブ・クズ」だったという厳然たる事実に接し、生前、あれ程唐沢本人を「御意見番」「知恵袋」さながらに持て囃してきたネトウヨ軍団は、敵前逃亡してしまったような感さえもあります。
そもそも、唐沢俊一の破廉恥で下劣極まりない「正体」など、wikiや『唐沢俊一検証blog』等でも一目瞭然の筈でしたが……!?
長年、ずっと疑問に思っていたのですが、亀田氏の「御伽衆」などは、「唐沢俊一」でググることさえも碌にしてこなかったのでしょうか。
閑話休題。個人的に、唐沢俊一についての思い出で最たるものは……下記の通り、夏コミ(コミックマーケット86)の3日目(※2014年8月17日)に、幣サークル「カフカールナ!」の隣が唐沢俊一のサークル「NO&TENKI商会」であり、とどのつまり、半日以上も唐沢俊一本人と隣り合わせになるという、得難い経験をしたことでしょうか。
今だからこそ、当時のことを少しだけ書いておきますが、当日は結局、唐沢俊一本人とは一言も言葉を交わさなかったというか、挨拶もお互いにしなかった記憶があります。
とはいえ、当時の唐沢俊一は……傍目には数人の若い男性たちを、付き人宜しく、サークルのスタッフとして従えており、当日の運営を彼らに一任して踏ん反りかえっていたようにも見えました。
恐らく、その若者たちは、当時、唐沢がのめり込んでいた演劇の関係者だったかと推定されますが。
そうしたビジネスライクな人の繋がりさえも、最晩年の唐沢は無くしていったようです。
……とまあ、ここまで長々と書いてきましたが、ここだけの話、唐沢本人の最後の仕事先というか、より正確には原稿料踏み倒し未遂のトラブルに見舞われた下記の四海書房さんからメールにて、(結果的に)幻となった唐沢俊一への「公開質問状」の原文(全文)を添付して頂きました。
四海書房さんには、改めまして、厚く御礼申し上げます。
※以下のポストなどは、ご参考なまでに掲載したものであり、自分はこれらのご見解に賛同している訳ではありません。宜しくお願い致します。
著述家の唐沢俊一氏が逝去とのこと。
— 四海書房『完全版 泌尿器科のがんがわかる本』24年4月22日発売! (@shikaishobo) 2024年10月4日
お悔やみを申し上げます。
【告知】
唐沢氏と生前最後に文筆関連の仕事をしたのが当社となるわけですが、その際に氏の背信行為の数々に対して書き上げた公開質問状があります。
生前は名誉毀損の法的リスクがあり公開を見送った文書ですが、
(続く)
唐沢氏の最晩年の状況を知るには第一級の資料であることも確かです。
— 四海書房『完全版 泌尿器科のがんがわかる本』24年4月22日発売! (@shikaishobo) 2024年10月4日
そこで、当該文書を【唐沢俊一氏を研究する用途に使う人物に限り】開示したいと思います。
(続く)
ご希望の方は当アカウントへのリプライ、または
— 四海書房『完全版 泌尿器科のがんがわかる本』24年4月22日発売! (@shikaishobo) 2024年10月4日
shikai(アットマーク)https://t.co/CLnqZbvzue
まで、唐沢氏との関係、および文書の用途を付記してコンタクトをしてください。
※全ての方のご希望には添えないことをご了承ください。
※この呼びかけは予告なく取りやめる場合があります。
四海書房さんのメールには、「公開質問状」のファイルについて、
・記述中の事実を改ざんしない限りにおいて、使い方はお任せします。
ご自由にお使いになってください。・念のために記載しておきますが、現在、唐沢氏に貸し出したお金は、全て返還を受けております。(差し入れその他の雑費と労力・手間賃を除く)
と記載されておりました。
大変恐縮ではございますが、お言葉に甘えて、「公開質問状」から判明した当時の唐沢俊一の様子など、その内容の一部を掻い摘んでご紹介すると、以下の通りになります。
・最晩年(当時)の唐沢俊一は、四海書房さんが最初にコンタクトを取った時、よく言ったところでネカフェ難民であり、事実上、ホームレスにも近い状態だった。
唐沢本人曰く、
「家賃滞納で事務所を引き払うハメになり、いまはネットカフェに寝泊まりしている」
とのこと。
・そんな「住所不定無職」だった唐沢が、四海書房さんからの単行本書き下ろしのオファーに、なりふり構わず飛び付いたのは……文字通り着の身着のままで、極度に困窮しており、当座を凌ぐための前払金(原稿料等)が欲しかったお寒い懐事情もさることながら、仕事上の契約書。即ち「就労証明書」が欲しかったことも大きかった。
・契約書(「就労証明書」)に唐沢俊一が拘っていたのは、東京都のネカフェ難民向けの公共福祉サービスでもあるTOKYOチャレンジネットを利用し、賃貸物件を借りたかったからである。
これまた唐沢本人曰く、
「四海書房の捺印を済ませた契約書を早く渡して欲しい。というのもチャレンジネットの住居斡旋の申請に『自分は就労している』という証拠の文面が欲しいから」
とのこと。
等々、上記の「公開質問状」によると、唐沢本人は、常日頃、福祉を毛嫌いし、それらに頼らざるを得ない人達を上から目線で嘲笑する、又はそうした態度を取りがちでしたが……実は、唐沢自身は、そうした福祉に蜘蛛の糸宜しく、縋りつこうと必死だったらしい経緯も伺えます。
同時に、当時の唐沢俊一が、生活保護を受給していなかったのは、ほぼ確実なことも。
他にも「契約書」(「就労証明書」)をゲットしたことで、恐らく、チャレンジネット経由で新居(※荻窪のワンルーム)を確保した唐沢俊一は……その後、四海書房さんに最低限の家財道具や、大量の食料及び生活必需品まで用意させるなど、厚顔無恥も甚だしく、タカリ放題であった模様です。
これ以外にも、延々と唐沢俊一の屑エピソード等が満載でしたが……冗談でも皮肉でも無く、リアル『人間失格』であり、リアルギミノリ大先生でした。はい。
もとより、「死人に口なし」「死者に鞭打つ行為だ!」等々のご批判は、覚悟の上です。
念のために、非礼を百も承知で申し上げますが、くれぐれも四海書房さんに抗議等は絶対にしないで下さい。宜しくお願い申し上げます。
※唐沢俊一とは、何だったのか。晩年は対立していたとはいえ、唐沢本人とは旧知の仲でもあった町山智浩さんが、水道橋博士氏と熱く語り合った以下の計三回のYouTubeチャンネルでのトーク(動画)は、必見かと存じます。
唐沢問題等が、手っ取り早く、理解したい方には、特にお勧めです。