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※2013/8/19追記:エントリーを微修正しました。
・動画投稿サイトの「YouTube」に、日垣センセイの最新インタビューの第5弾がアップされています。
…毒にも薬にもならない自慢話をいつもの調子で喋っています。
・日垣センセイ、8月14日頃の投稿から、Facebookの公開設定をまた一般モードに戻しています。どういう心変わりなのか。
●心神喪失による免罪は、古今東西を通じてスタンダードではない?
日垣センセイは『そして殺人者は野に放たれる』(新潮文庫、平成十八年十一月一日発行/平成十九年二月二十日四刷)の「終章 古今東西「乱心」考」P283〜299で、江戸時代の法典公事方御定書などを引き合いに出して、かつての日本では心神喪失・心神耗弱の状態であっても、基本的には触法精神障害者を刑罰の対象にしてきたと絶賛しています。以下は、その主張からの引用です。
現代日本の司法精神医学や刑法に関する書物の大半は、心神喪失(乱心)による免罪が古今東西を通じてスタンダードであると平気で書き飛ばしてきた。だが実際はそうではない。
P285現代日本の法体系が、精神障害者を半人前以下にしか扱わず、司法の対象と見なすことすら放棄しているのとは対照的に、江戸時代の刑法典は、そのような差別とは縁遠いものであった。
P286〜287
日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(新潮文庫、平成十八年十一月一日発行/平成十九年二月二十日四刷)P285〜287
上記の「終章 古今東西「乱心」考」で、日垣センセイが近代以前の事例として挙げているのは、公事方御定書以外に飛鳥時代の大宝律令、奈良時代の養老律令といった日本の法典のみに関して一言触れている程度です。
さて、本当に「現代日本の司法精神医学や刑法に関する書物の大半は、心神喪失(乱心)による免罪が古今東西を通じてスタンダードであると平気で書き飛ばしてきた。だが実際はそうではない。」のでしょうか。
●欧米諸国では、古代ギリシャ・ローマ時代からスタンダードだった免責事項
古代ギリシャでは、触法精神障害者に対して比較的寛大な処置がとられていたそうです*1。哲学者プラトンは自著『法律(下)』(邦訳の版元は岩波文庫、1993年4月16日第1刷発行。訳者は森進一、池田美恵、加来彰俊。)のP191で、触法精神障害者について「責任能力は無い。従って刑罰を免除すべき」という主旨の発言をしていました。
じっさい、これらの犯罪のどれかを犯す者は、おそらく、狂気の状態にあるために、あるいは、病気にかかっているとか、非常な高齢にあるとか、子供に近い状態にあるとかで、狂気の人と少しも変ら(原文ママ)ない有様であるために、そんな犯罪を犯すのでしょう。
もし、こういった事情のどれかが、犯人なり犯人の弁護人の申し立てにもとづいて、それぞれの事件に関して選出された裁判官たちに明白となり、そしてその犯人はそのような心身(原文ママ)の状態にあって違法の行為をしたのであると裁定された場合には、その者は、誰かにあたえた損害に相当するだけの額は何としてでも弁償すべきであるけれども、その他の刑罰は免除されるものとしよう。
プラトン『法律(下)』(邦訳の版元は岩波文庫、1993年4月16日第1刷発行。訳者は森進一、池田美恵、加来彰俊。)P191
また古代ローマにおけるローマ法大全でも、プラトンの主張とほぼ同様の規定があったそうです。ドイツの法学者フリッツ・シュルツは自著『ローマ法の原理』(邦訳の版元は中央大学出版部、2003年9月25日初版第1刷発行。訳者は眞田芳憲、森光)のP279でその点を指摘しています。
法的効果は身体上・精神上の人間の状況と広範に結びついていた。男性の完全な行為能力は、古典期においてもなお性的成熟の時点をもって取得された。また、精神病が行為無能力を生み出した(精神病を理由として下される、創設的効力を有する禁治産宣告は知られてはいなかった)。未成熟者あるいは精神病者と取引を行な(原文ママ)い、こうした者を完全な行為能力者であると判断した取引相手方の保護は存在していなかった。
フリッツ・シュルツ『ローマ法の原理』(邦訳の版元は中央大学出版部、2003年9月25日初版第1刷発行。訳者は眞田芳憲、森光)P279
こうした近代以前の欧米諸国での触法精神障害者に対する免責事項の歴史については、岩波明『精神障害者をどう裁くか』(光文社新書、2009年4月20日初版第1刷発行)のP56〜59、小田晋、作田明、西村由貴『刑法39条 心の病の現在』(新書館、2006年1月25日初版第一刷発行)のP56〜59でも言及されています。これらの著作からも、欧米諸国では古代ギリシャ・ローマ時代から触法精神障害者に対する免責がスタンダードであったことが伺えます。小田氏は、プラトンの主張こそ責任能力説の起源としています*2。日垣センセイは日本の事例、それも江戸時代の公事方御定書を詳細に解説しているものの、海外の事例は一切取り上げていません。何故、欧米諸国の事例を取り上げないのか。これなども、例によって持論を殊更に正当化するための情報操作の可能性が高いです。
『そして殺人者は野に放たれる』(新潮文庫、平成十八年十一月一日発行/平成十九年二月二十日四刷)P288〜289から。
日本の刑法は心神喪失および心神耗弱に何の定義も与えず、また制限を加えておらず、混乱と暴走に拍車をかけてきた。被害者に対して「意思決定」により残虐な行為をおかした者が、なぜ国家によって「意思決定できない者」とレッテルを貼られて無罪放免とされるのか。
『そして殺人者は野に放たれる』(新潮文庫、平成十八年十一月一日発行/平成十九年二月二十日四刷)P288〜289
日本の刑法には、心神喪失及び心神耗弱の定義を明文化した条項はありません。しかしながら、戦前の判例(大審院昭和6年12月3日判決、大審院刑事判例集10巻12号P682)によって刑法上の定義そのものは確立しています。刑事裁判では、これに従って判断が下されています。現行刑法を改正し、定義規定を新たに設けたとしても、判例の文言が条文に記載されるだけの話であって、実情は全く変わりません*3。判例を「無かったこと」にしているあたり、またしても持論のために読者のミスリードを誘っています。
こうして見ていくと、日垣センセイが結論ありきで、自分に都合のいい事例ばかりを集めて持論・主張を構成しているのが改めて浮き彫りになっています。「読者も編集者も、どうせ俺の本を調べないだろうに」と高をくくっていたのでしょうか。
★参考資料
岩波明『精神障害者をどう裁くか』(光文社新書、2009年4月20日初版第1刷発行)
小田晋、作田明、西村由貴『刑法39条 心の病の現在』(新書館、2006年1月25日初版第一刷発行)
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