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※2013/3/4追記:エントリーを更新しました。脚注(出典)を追加。
●日本には触法精神障害者に対する専門の施設が無い?
(前回のエントリーからの続き)日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(新潮文庫)のP67、P84〜85から。
未だ日本には、凶悪犯罪者を心神喪失により無罪にする法(刑法三九条一項)はあっても、心神喪失により不起訴あるいは無罪にした凶悪犯罪者を処遇する施設が一つもない。
P67《これはもっとも重要なことかもしれないが、精神分裂病*1というのは病気であるということである。精神分裂病者は治療を必要とする病人である。病人に刑罰を課することは意味ないではないかと思われる。刑罰よりも治療を行なう(原文ママ)べきであろう》(中田修『犯罪と精神医学』創元社)
世界的潮流に反して、日本には精神障害犯罪者を処遇する施設が一つもなく、これらの主張は結果的に「野放し」を常態化させる役回りを果たしてきた。
P84〜85
日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(新潮文庫、平成十八年十一月一日発行/平成十九年二月二十日四刷)P67、84〜85
日垣センセイは本書*2において、日本には法に触れる重大な他害行為をした精神障害者、いわゆる触法精神障害者を処遇する専門の施設がないと断言しています。
また、措置入院に関する法制上の不備についても以下のように指摘しています。
日本と同様、米国その他にも措置入院制度はある。だが日本では、措置入院は司法(裁判所)による命令ではなく、都道府県知事による“配慮”として行なわれ(原文ママ)、施設も法務省ではなく厚生労働省の管轄である。つまり、刑事的な強制治療処遇としてではなく、ただの患者として(たいてい短期間)入院するにすぎない。
確かに、例えばスウェーデンでも日本と同じように一般精神病院を利用する国がないわけではないものの、精神障害犯罪者の入退院を決定するのは、知事や病院長ではなく、当然のことながら、すべて司法のコントロール下におかれる。
日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(新潮文庫、平成十八年十一月一日発行/平成十九年二月二十日四刷)P293〜294
日垣センセイによると、日本では触法精神障害者を処遇する施設も無ければ、措置入院に関する法制上の不備もあり、彼らが結果的に「野放し」になっているとのことです。
しかし……現在の日本では、本当に再犯の危険性がある触法精神障害者たちが、容易に野放しになっているのでしょうか。
●精神保健福祉法の限界
元来、欧米諸国では触法精神障害者の処遇について、司法当局と医療機関が二人三脚で取り組んできました。イギリスなど、多くの国において触法精神障害者は通常の精神障害者と区別され、専門の医療施設に送られて治療されてきました。入退院などの決定及び手続、退院後の外来などのフォローアップに関しても、病院サイドだけでなく、司法もまた責任を有し、それなりに強力な権限を持って監督してきました。精神障害の犯罪的側面を専門とする司法精神医学も、精神医学から独立した学問として存在し、司法精神医療*3が発展してきた歴史があります*4。
翻って日本の場合、長年、心神喪失などで「無罪」となった触法精神障害者は、「精神保健福祉法(精神保健及び精神障害者福祉に関する法律)」に基づく措置入院の対象となり、患者として一般の精神科病院に強制入院させられていました*5。
だが、精神保健福祉法に基づく措置入院とは、精神科病院への医療上の強制入院であり、制度上は触法精神障害と通常の精神障害者を区別しているものではありませんでした。無論、刑罰の一種ではなく、入院治療の期間などの規定もなく、重大な他害行為をした触法精神障害者であっても、一端入院して回復し、寛解*6になれば、通常の精神障害者同様に比較的短期間で退院するケースが絶えませんでした。退院するか否かの決定も、病院サイドに事実上判断が丸投げされており、司法当局は一切それに関与できませんでした*7。
従って、例えば病状が頻出してはすぐに消えるという、長期間の入院治療が必要不可欠な重篤の触法精神障害者に対し、不十分な対応しかとれず、結果的に「野放し」になってきた側面が確かにありました。なぜなら、病院サイドからすれば、病院の目的とはあくまで患者の治療であり、過去の経歴に関係なく、病状から回復して寛解になれば、外出許可はおろか、退院させるのが常識です。そもそも退院を無期限に延長することだけでなく、退院後の通院を義務づけるための規定も、精神保健福祉法にはありません。これらが前述した法制上の不備として、日本精神科病院協会などから度々指摘されていました。そこで2001年6月8日に大阪府池田市で起きた付属池田小事件を機に、2003年7月に制定され、2005年7月から施行されたのが「医療観察法(心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律)」です*8。
●医療観察法と保安処分
医療観察法とは、欧米、特にイギリスの司法精神医療をモデルに、従来の精神保健福祉法では処遇困難だった重篤の触法精神障害者に対し、事実上の「保安処分」を認めたものです。保安処分とは、19世紀にドイツの刑法学者エルンスト・フェルディナント・クラインが提唱した考え方が原型で、要するに刑事責任は問わない(刑罰を加えない)が、場合によっては社会復帰のために専門の施設等に隔離し、一定の監視下で治療・改善させるというものです。日本ではこれが「人権侵害か否か」を巡って精神医学界だけでなく、刑法学会でも多くの専門家が長年に渡って激しい議論をしてきた経緯があります。このことが、医療観察法の制定及び施行まで、日本で触法精神障害者に対する事実上の保安処分が認められてこなかった一因でもありました*9。
医療観察法の最大の特徴の一つは、司法当局が心神喪失などで無罪となった触法精神障害者の入退院などの決定及び手続、退院後の外来などのフォローアップに関与し、責任を持って監督できることです。具体的には裁判官と裁判所が任命した精神科医による精神保健審判員との各1名の合議によって、対象者の処遇などを決定します。また合議には、同様に裁判所から任命された法務省管轄の保護観察所の職員による社会復帰調整官、ソーシャルワーカーの資格を持つ精神保健参与員が加わって、それぞれ報告・意見を述べます。これによって、病院サイドに判断が丸投げされることもなく、長期間の入院治療が必要不可欠な重篤の触法精神障害者が「野放し」になる危険性が減少傾向にあるそうです*10。
さらに医療面でも、「指定入院医療機関」「指定通院医療機関」に存在する、比較的環境が良好で、かつ一般の精神科病院の施設に比べて倍以上の医療スタッフが配置された専門施設で、手厚い治療を受けられるようになりました*11。実際、例えば指定入院医療機関の一つである松沢病院では、「医療観察法病棟」という医療観察法の対象者を処遇する専門施設があります。松沢病院の医療観察法病棟は、専属の警備員が24時間体制で警備するなど、セキュリティも充実しており、専門的な治療と、保安(社会防衛)を両立させていると言えます*12。
もとより、医療観察法にも指定入院医療機関における入院が原則として18ヶ月など、入院期間が医学的に必ずしも長いとは言い難く、重篤の精神障害者を治療するにあたっては、やや不充分であるという指摘もあります。ただ、これはあくまで原則であって、実際には「入院を継続させてこの法律による医療を行う必要があると認めることができなくなった場合」(医療観察法49条1項)に退院という規定もあり、継続的な長期入院が可能になっています。一方で、そもそも医療観察法自体が欧米の強力な保安処分と比べて内容が中途半端だとか、やはりこれは人権侵害にあたるといった批判も絶えません。とはいえ、医療観察法が精神保健福祉法の弱点を大幅にカバーしていることは、紛れもない事実です。いずれにせよ、日垣センセイが本書で盛んに煽る殺人、放火などの重大な他害行為をした触法精神障害者が「野放し」になる問題は、既に一定の解決策が取られて、それなりに効果を上げているのです*13。
●文庫化に際して単行本から削除された医療観察法への言及
ところが、本書の文庫版では医療観察法について、日垣センセイは一言も言及していません。それどころか、医療観察法の存在自体を完全に黙殺しています。実際、全ページをチェックしてみても、全く該当する記述が見当たらないのです。念のため、単行本も確認してみると、巻末の「あとがき」に下記のような記述がありました。
現在、「再犯の恐れがある精神障害者」を強制隔離しようとの立法がなされつつあるのですが、これは二重三重に間違っています。問うべきは犯罪の「結果」であって、健常者にも障害者にも等しくある「再犯の恐れ」などという不確実な要因で拘束を合法化することではありません。男性や少年に凶悪犯罪者が多いからといって、予防拘禁することが許されるでしょうか。そしてまた、この半端な立法は、諸悪の根源たる刑法三九条をそのまま放置することによって、事実関係を法廷で明らかにするという憲法の大原則を踏みにじるものです。
他方で、この立法措置に何が何でも反対を唱える頑迷勢力は、精神障害犯罪者には刑罰は必要なく医療だけで臨むべきだ、という不健全な主張を続けています。彼らにも、凶悪犯罪の「結果」が全く見えていないのです。その構図も、本書*14で具体的に描いて(原文ママ)おきました。
日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(新潮社、2003年12月20日発行)P250
改めて奥付を確認すると、本書の単行本には「2003年12月20日発行」、文庫版には「平成十八年十一月一日発行/平成十九年二月二十日四刷」とあります。
上記の日垣センセイによる記述は、本書の単行本のみにあるもので、何故か文庫版にはありません。
日垣センセイは、名称こそ直接言及していないものの、単行本の発刊当時、少なくとも医療観察法が2002年3月15日に閣議決定され、国会で審議されていたことに気づいていたと考えられます。医療観察法の制定は2003年7月、同法の施行は2005年7月です。単行本においては、一応言及していた医療観察法の存在について、2006年10月頃に刊行された文庫版では一言も言及せず、それどころか「あとがき」から上記の記述を削除して同法の存在自体を完全に「無かった」ことにしているのです。
ここからは、あくまで個人的な推測ですが……日垣センセイは、医療観察法の制定及び施行によって、本書の大前提たる触法精神障害者の問題に対策が講じられたことで、自身の主義主張が意味を為さなくなりつつあることに危機感を覚えていたと考えられます。そこで、またしても読者を欺くために姑息な情報操作の一環として、文庫化に際し、上記の単行本の「あとがき」における記述を削除した可能性があります。
もっとも、本書の文庫版の解説を担当している精神科医の斎藤環氏は、医療観察法について解説の中(P317)で少しだけ触れています。こうなると、何故、日垣センセイが文庫化に際して上記の医療観察法に関する記述を削除したのか、ますます謎だらけです。
★参考資料
Amazonレビュー:感情的対立を煽るだけの悪しきジャーナリズム
岩波明『狂気という隣人』(新潮文庫、平成十九年二月一日発行)
岩波明『精神障害者をどう裁くか』(光文社新書、2009年4月20日初版第1刷発行)
小田晋、作田明、西村由貴『刑法39条 心の病の現在』(新書館、2006年1月25日初版第一刷発行)
林幸司『ドキュメント精神鑑定』(洋泉社、2006年3月20日発行)
精神保健及び精神障害者福祉に関する法律 - Wikipedia
心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律 - Wikipedia
心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律
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*1:統合失調症の旧称。2002年に日本精神神経学会の決議で、現在の名称に変わった。
*3:司法精神医学の関連する医療分野。
*4:岩波(平成十九年)P217〜245、同(2009年)P35〜36、P118〜119
*5:岩波(平成十九年)P214〜216、同(2009年)P118〜121
*6:医学用語で、治癒に似た安定した状態。
*7:林(2006年)P16〜19、小田・作田・西村(2006年)P28〜33、岩波(平成十九年)P214〜216、同(2009年)P118〜121
*8:林(2006年)P19、小田・作田・西村(2006年)P27、P32〜33、岩波(平成十九年)P214〜216、P248〜250、同(2009年)P24〜27、P118〜142
*9:小田・作田・西村(2006年)P27、P32〜33、岩波(平成十九年)P214〜216、P248〜250、同(2009年)P24〜27、P118〜142
*10:小田・作田・西村(2006年)P27、岩波(平成十九年)P214〜216、P248〜250、同(2009年)P24〜27、P131〜142
*11:小田・作田・西村(2006年)P27、岩波(平成十九年)P248〜250、同(2009年)P24〜27、P134〜142
*12:都立松沢病院医療観察法病棟新築工事説明会資料(医療観察法病棟の建物概要等)
*13:小田・作田・西村(2006年)P32〜33、岩波(平成十九年)P248〜250、同(2009年)P134〜142