KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)

主に作家の日垣隆、猪瀬直樹、岩瀬達也、岡田斗司夫、藤井誠二などを検証しているブログです。

狂犬はP&Gの夢を見るか?ー検証・日垣隆「足利事件・DNA鑑定レポートの虚実」(その弐)

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※2012/10/12追記:エントリーを微修正しました。



・下記のURLは、東北大学学友会報道部が発行している『東北大学新聞』(1977年4月1日号)のスキャン画像です。2ちゃんねる日垣隆スレッド【ガリレオ・ガリレオ】日垣隆★96【教皇避暑中】スレッド684に「ID: /2Mw7alx」の方が投稿していました( 「ID: /2Mw7alx」さん、ありがとうございます)。画像を拡大してみると、「77年度 東北大学合格者名簿 一覧」の「法学部」欄に「日垣隆 長野」とあります。日垣センセイが、1977年、東北大学法学部に合格・入学し、在籍していた経歴は紛れもない事実のようです。残る焦点は、本当に「卒業」していたか否かですね。

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日垣隆足利事件 爆弾レポート」の先見の明は?

前々回のエントリーの続き)日垣センセイは、自分が朝日新聞社発行の月刊誌『RONZA』(1996年10月号)P144〜151に「情報の技術 DNA型鑑定の陥穽」と題して発表したレポートこそ、公的メディアで最も早く足利事件のDNA鑑定に疑義を呈し、同事件で犯人とされた菅家利和さんの冤罪を告発したものだと豪語していました。

ところが、足利事件に関する雑誌記事等を検索してみると、日垣センセイのレポートよりも早く同事件を取り上げたルポ及びテレビ番組が合計5つあります。

1.三浦英明「ルポ足利事件 DNA鑑定の怪」(日本評論社、『法学セミナー』1994年3月号)P18〜25
2.小林篤「一審有罪『足利幼女殺人事件』の謎を追え DNAは真犯人を明かしたか」(講談社、『現代』1994年12月号)P200〜218
3.「揺らぐDNA鑑定」(NHKETV特集1996年2月2日放送)*1
4.小林篤「集中連載―足利幼女殺人事件=「私はやっていない」と被告は叫んだ 控訴棄却―DNA「1/185の確率」」(講談社、『現代』1996年8月号)P232〜244
5.同「(集中連載・後篇)足利幼女殺人事件の真実 控訴棄却―そして犯人は選ばれた」(同、同1996年9月号)P312〜324


3.「揺らぐDNA鑑定」は、番組を視聴して確認することは残念ながらできませんでしたが、それ以外の1.、2.、4.、5.のルポはいずれも足利事件について、そのDNA鑑定を批判的に検証し、菅家さん犯人説に疑義を呈する内容になっています。とりわけ、小林篤氏による2.、4.、5.のものは、菅家さん御本人、弁護士など関係者への聞き取り取材だけでなく、足利事件の公判の傍聴なども踏まえた同事件を読み解く上での底本的なルポになっています。実際、小林篤氏は後に加筆修正した同ルポなどを所収した『足利事件 冤罪を証明した一冊のこの本』(講談社文庫、2009年9月15日第1刷発行)を刊行しています。他方、三浦英明氏も同様に上記1.のルポを改訂して所収した天笠啓祐・三浦英明著『DNA鑑定 科学の名による冤罪【増補改訂版】』(緑風出版、2006年2月20日初版第1刷発行)を上梓しています。

日垣センセイは東京拘置所にて、1996年7月11日頃に菅家さん御本人と東京拘置所で面会するなど*2、取材そのものはしていたようです。この時の模様は、毎日新聞社発行の週刊誌『エコノミスト』(1996年7月30日号)P11のコラム「敢闘言」でも、以下のように書いています。

東京拘置所に、ある人を訪ねた。幼女誘拐殺人事件の犯人にされた人物で、事件を追っていくうちに私は、どうしても被告人に会ってみたくなったのだ。日本の報道は一般に被告人の言い分に耳を貸さない。が、素人の私には面会がどうしたらできるかも、わからない。NTT104で電話番号を聞くことから始め、四日前に件の人物に速達を出し、会ってもらえるかどうかわからぬまま最寄りの駅におりた。手ぶらだったので近くで菓子折りを求めると、店主は大量の福引き券を差し出した。今日が最後で夕方に抽選会があるから、先様にでも渡してくれと店主は言う。そうできればいいのだが。別の店で、拘置所の面会場所を尋ねた。あまりに広大なためだ。ようやく辿りついた待合室は、七割が若い感じの女性、二割がパンチパーマ、一割が弁護士という雰囲気だった。何軒も差し入れ店があって、そこで購入したものだけが中に差し入れできると初めて知った。手土産は無駄になった。毒を盛る奴でもいるのだろうか。受付では、私の職業を見て「取材ですか」と聞くので、「お会いして話をしたく思います」と答えた。官吏が露骨にいやがらせを繰り返したため、「あなたの名前は?」と尋ねると「言う必要なんかない」と怒鳴り散らす。所内では実に様々ないやがらせが行われているのであろう。ここの官吏は相当ストレスが溜まっている。身寄りが来なくなって久しい件の人に、「取材」を済ませた後、必ずや最高裁で冤罪が晴れるよう願って別れを告げた。

日垣隆「敢闘言」『エコノミスト』(毎日新聞社、1996年7月30日号)P11*3


因みに、1996年前後の掲載順を時系列で整理すると、このようになります。


1996. 7.5 『現代』1996年8月号発売(小林篤:集中連載・前篇)
1996. 7.11 日垣隆:東京拘置所にて菅家さんと初対面
1996. 7.22 『エコノミスト』1996年7月30日号発売(日垣隆:敢闘言・東京拘置所訪問記)
1996. 8.5 『現代』1996年9月号発売(小林篤:集中連載・後篇)
1996. 10.6 『RONZA』1996年10月号発売(日垣隆:情報の技術・DNA型鑑定の陥穽)


ここからは個人的推測ですが……日垣センセイが足利事件に関心を持って取材を始めたキッカケは、上記の小林篤氏の足利事件ルポ(『現代』1996年8月号掲載)を読んだからではないでしょうか。同事件について最も早く「DNA鑑定疑惑・菅家さん冤罪説」を展開した上記の三浦英明氏のルポは、掲載誌が『法学セミナー』という一般的にはマイナーな学術誌です。一方、当時の月刊誌『現代』は(『法学セミナー』に比べれば)、それなりにメジャーな総合雑誌でした。日垣センセイは『現代』(1996年8月号)を発売直後に読んで、急遽、東京拘置所に赴いて菅家さんと面会し、それから約3か月後に例の足利事件のレポート「情報の技術 DNA型鑑定の陥穽」を『RONZA』(1996年10月号)に発表した可能性があります。つまり、他人の書いたルポに興味をひかれて始めた後追い取材であって、先見の明など、最初から全く無かったと言えます。



日垣隆は雑誌掲載後に圧力を掛けられたのか?

日垣センセイは『秘密とウソと報道』(幻冬舎新書、2009年7月30日 第一刷発行)P123〜125で、足利事件のレポート「情報の技術 DNA型鑑定の陥穽」の掲載号の発売後、菅家さんのDNA鑑定を行った警察庁科学警察研究所科警研)から圧力を掛けられたと述べています。


※日垣センセイの原文では、被害者の女児の実名が明記されていますが、事件関係者存命などの可能性に考慮して、引用文では仮名にしています。尚、この改変は著作権法20条2項4号の「やむを得ないと認められる改変」にあたると考えています。

肝心の質問にまったく答えられない技官たち

(略)

科警研の行なったDNA型鑑定はインチキとしか思えない。

論座」の記事が出た約半年後、私は科警研から呼び出しを食らった。オウム真理教の化学班みたいな白衣を着た八人に囲まれ、私は一人ツルし上げられた。彼らの主張は要するに、「自分たちの鑑定は間違っていないから、キミは主張を訂正しろ」ということだった。

「我々が誠実に鑑定した結果だ」と言うので、「あなたがたは、一晩中川底に眠っていたTシャツからどうやって精液を取ったんだ」と訊いてみた。「科警研が用いたMCT118法、世界的にもまったく信用されていないものだし、一ヵ所だけの異同で個人差を特定するのは横暴だ。日本の学会でも正しい方法として認められていないではないか」とも私は逆に詰め寄った。データを見せてほしいともお願いし、私自身が納得できたなら堂々と長大な訂正記事を書きますーとも明言した。すると、自分たちで呼び出しておきながら、彼らは私の質問に何一つ答えられず黙ってしまう。

栃木県警の科捜研は、当初三つの精子をAちゃんの服から見つけたと発表していた。「顕微鏡を出してきて、その証拠を見せてほしい」と科警研の技官に言ったところ、彼らは「試料は全部使ってしまった」と言って黙ってしまう。こんなものが、科学的証拠と言えるのか。

さらに彼らは私に対して「これからは情報を出さないぞ」と脅しをかけてきた。これまでに来た素直で協力的な取材者は、そこで「すみません。これから気をつけます」と折れていたのだろう。少なくとも逆質問として「MCT118法でDNA型が一致したと言うなら、そのデータを見せてほしい」と訊ねた記者はいなかった。

日垣隆『秘密とウソと報道』(幻冬舎新書、2009年7月30日 第一刷発行)P123〜125



また、月刊誌『WiLL』(ワック、2009年8月号)に掲載された日垣隆足利事件 冤罪の構図」(P62〜81)でも。

科警研とのバトルを再現すると一冊の本になりそうなので、要点だけにとどめる。

私が呼ばれて科警研の取調室のようなところに単身入っていくと、白衣を着た八人のオウム真理教化学班みたいな人々に囲まれた。

彼らの主張は、ただ一つ、足利事件でのDNA型鑑定は間違っていない、キミはなぜ間違っていると言い張るのか、訂正したまえ、ということに尽きた。

私は、そういうときにおとなしい性格ではないので、科警研がやった方法(MCT118法)は世界的にはもとより、日本の学会でもまったく認められていないではないか、科警研がMCT118法を導入した翌月から菅家さんの尾行を始めたうえ、菅家さんとまったく同じ「型」の人は足利市内だけで一四〇〇人もいるではないかと、科警研の意に反してべらべらとまくしたてた。

俺の質問に答えるまでここを出ない(原文ママ)、とヤクザみたいなことも言った。

八人はおよそ紳士的な人々で、こいつ(俺のことね)をどう扱っていいのか困惑しているのは明らかだった。こういう場所に呼び出して、「キミねえ」と恫喝すれば、「すみませんでした、以後は気をつけます」と言って去るのが普通らしい。

私は怯むことなく、かねてから抱いていた疑問を八人にぶつけた。ちょうどいいチャンスだと思ったのである。その結果、科警研が菅家さんを「クロ」にした唯一の根拠であるDNA型鑑定は、世界広しといえども科警研のこの八人にしか通用しない方法であること、他の研究機関でやったら同様の結果は絶対に得られないこと、が証明された形になった。

日垣隆足利事件 冤罪の構図」『WiLL』(ワック、2009年8月号)P80


日垣センセイによると、「レポートの掲載号の発売から約半年後に、科警研から呼び出された。主張を訂正しろと言われた」と事実上の圧力を掛けられたとのことですが……これも明らかにおかしいです。

まず、DNA鑑定などの科学的な捜査で知られる科警研が、外野の門外漢の批判を殊更に気にして、わざわざ一人のフリージャーナリストを呼び出して圧力を掛けるなどということは考えられません。そんなことをすれば、それこそ大騒ぎになり、大問題に発展します。大体、本当に圧力を掛けるならば、掲載誌の発行元の上層部か編集部では?また日垣センセイ御本人を呼び出したのに、プロの鑑識員全員が日垣センセイの質問にきちんと答えられないとは、あまりに不可解です。しかも、掲載号の発売から約半年も経ってから呼び出すのも不自然。呼び出すなら、掲載号の発売直後にするのではないでしょうか。

そもそも、「DNA鑑定疑惑・菅家さん冤罪説」を主張していたのは日垣センセイだけではありませんでした。日垣センセイに先駆けて唱えていた三浦英明氏や、小林篤氏の上記のルポ、著作等*4を読んでも、科警研から圧力を掛けられたという類の話は一切出て来ません。何故日垣センセイにだけ圧力が?三浦英明氏や小林篤氏はともかく、当時の日垣センセイは全く無名だったにも関わらず……。



★参考資料

足利事件 - Wikipedia

http://www.shimotsuke.co.jp/special/ashikaga-jiken/

Amazonレビュー:二番煎じ(2回目)

Amazonレビュー:で,結局なにが言いたいの?

情報系 これがニュースだ (文春文庫)

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情報への作法 (講談社+α文庫)

情報への作法 (講談社+α文庫)

秘密とウソと報道 (幻冬舎新書)

秘密とウソと報道 (幻冬舎新書)

電子書籍を日本一売ってみたけれど、やっぱり紙の本が好き。

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足利事件(冤罪を証明した一冊のこの本) (講談社文庫)

足利事件(冤罪を証明した一冊のこの本) (講談社文庫)

DNA鑑定―科学の名による冤罪

DNA鑑定―科学の名による冤罪

*1:天笠啓祐・三浦英明著『DNA鑑定 科学の名による冤罪【増補改訂版】』(緑風出版、2006年2月20日初版第1刷発行)P201〜202によると、これは1995年11月5日にNHKの九州地方の番組・ズームアップ九州で『揺らぐDNA鑑定』として放映されたもので、大分みどり荘事件と足利事件を中心にDNA鑑定の問題点を指摘したものである。1996年2月2日のETV特集は、この放送に飯塚事件を加えて時間延長、再放送したものだとか。

*2:日垣隆『情報への作法』(講談社プラスアルファ文庫、2011年9月20日第1刷発行)P383

*3:上記の引用部分は、日垣隆『敢闘言 さらば偽善者たち』(太田出版、1999年5月22日印刷/1999年5月28日初版発行)P220、日垣隆『敢闘言 さらば偽善者たち』(文春文庫、2002年4月10日第1刷)P234〜235にもほぼ同様のものが所収されている。そこでは「東京拘置所日記」と題して、「この人の名は菅谷(原文ママ)利和さんという。私が冤罪と考える理由は『情報の技術』(朝日新聞社)を。」の一文も付け加えられている。

*4:天笠啓祐・三浦英明著『DNA鑑定 科学の名による冤罪【増補改訂版】』(緑風出版、2006年2月20日初版第1刷発行)、小林篤『足利事件 冤罪を証明した一冊のこの本』(講談社文庫、2009年9月15日第1刷発行)