KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)

主に作家の日垣隆、猪瀬直樹、岩瀬達也、岡田斗司夫、藤井誠二などを検証しているブログです。

Wonderful Doubt! 検証・日垣隆vs佐高信(START:DASH!!)

東京ビッグサイトで開催されるコミックマーケット86にサークル参加します。

日時:3日目(2014年8月17日/日曜日)
サークル配置場所:東ホール Q25a
サークル名:カフカールナ!

サークルの詳細については、コミケカタログ(Web)なども御参照下さい。

 ・初めて当エントリーを読まれる方は「日垣問題の記録 〜 日垣隆 研究報告 〜」「日垣隆(Wikipedia)」「ガッキィスレまとめサイト@ウィキ」の御一読をおススメします。
 ・当ブログへの御意見・御感想は、下記のメールアドレスまで御連絡下さい。
kafkaesque1924@gmail.com

・日垣センセイのFb投稿から。

日垣隆

【兄と弟へ】

私の弟は13歳で殺され、その事実に耐えられず兄は、あのときから今も不治の病床にある。

私は兄と弟の分を生きてきた。でも、少し疲れたみたい。

今にして思えば、二人とも「ひとなみ」の楽しみも得られなかったかわりに、苦悩も味合わずに済んだ。

もう、私の人生と幸せを考えても、良いですよね。

 相変わらず「私の弟は13歳で殺され」と嘘八百を繰り返している日垣センセイ。日垣センセイの弟さんの死が、学校事故に過ぎなかったことは当ブログでも幾度となく検証してきました*1。これに「いいね!」をする人が、現時点で169人もいるとは……。「いいね!」をしている人達は、自分で真相を調べようとしないのか。信者って文字通り思考停止の権化ですね。


日垣隆vs佐高信の第1ラウンド

 日垣センセイが、評論家の佐高信氏と因縁浅からぬ仲だったことは有名です。犬猿の仲、不倶戴天の宿敵と呼んでも言い程でした。しかし、この二人の長年の喧嘩の発端が、そもそも何だったのか。実は日垣センセイから噛みついたものであることは、意外と知られていません。二人の間の最初のトラブル、もといファーストコンタクトから遡っていきます。

 最初の応酬は、当時、二人が連載陣に名を連ねていた経済誌エコノミスト』誌上でした。日垣センセイが、コラム「敢闘言」で佐高氏を嘲笑したことから始まりました。

 頼りになる日本人?

 『暮しの手帖』の商品テストに購買意欲をそそられたことはないが、男性も読者に設定した『通販生活』は多彩なピカイチ品と推薦理由を掲載しており、即座に注文できるのもありがたい。商品到着後、これまで一度も期待を裏切られたことがない。頼りになる雑誌『通販生活』は、定期読者だけで一〇〇万人もおり、こうした読者協力によるアンケートにはなかなかの定評がある。中国残留婦人やチェルノブイリの子どもたちの現状報告も毎号キャンペーン展開し、編集者の顔が見える雑誌としてファンも多い。さて今回のアンケートは「いま、日本で頼りになる50人」。

(中略)

 われらが佐高信もちゃっかり四九位に入っている。

 「われらが佐高信もちゃっかり四九位に入っている」のくだりが佐高氏のプライドに触った*2

日垣隆『敢闘言 さらば偽善者たち』(太田出版、1999年5月22日印刷/1999年5月28日初版発行)P130
日垣隆『敢闘言 さらば偽善者たち』(文春文庫、2002年4月10日第1刷)P108〜109
※初出・日垣隆「敢闘言」(毎日新聞社エコノミスト』1994年10月4日号) 


 この日垣センセイの挑発的な揶揄にカチンときたのか、経済評論家の中沢孝夫氏と隔週交代でコラム「筆刀直評」を連載していた佐高氏は、同コラムで即座に反論しました。

 「佐高誠様」というインタビュー依頼のファックスが来て、名前をまちがうようでは応じられないと断ったことがある。その後の電話ではおかしなところもなかったし、ちょっと厳しすぎたかなと思って、『ダカーポ』の湯沢まゆみという名前は頭の中に残った。『新米編集者の日常』(マガジンハウス、九五〇円)は、そんな彼女の失敗体験記である。しょっちゅうやられてはたまらないが、それをのりこえていくたくましさは持っているようだ。

 ところで、本誌「敢闘言」の日垣隆には、彼女に倣って『新米コラムニストの日常』を書いてもらいたい。一〇月四日号で彼は、『通販生活』秋季号のアンケート「いま、日本で頼りになる50人」に触れ、「われらが佐高信もちゃっかり四九位に入っている」と書いている。一位が田中眞紀子で二位がビートたけし、三位が小沢一郎、以下、一一位に筑紫哲也、一三位に久米宏、二〇位に立花隆、二五位に田原総一郎と、テレビによく顔を出す人間が上位に並んでいる。二三位に夫、二六位に自分、三八位に母、四三位に「いない」が出てくるのも面白いが、四七位の和田アキ子や四八位の皇后陛下に次いで私が登場するからといって「ちゃっかり」はないだろう。別に私が運動したわけでもない。テレビでも「朝まで生テレビ」など断り続けているし、出演は必要最小限にとどめているのである。

 かつて本誌の巻頭コラムは須田禎一が切れ味鋭く書いていたが、言葉の使い方を知らない人間が書くようになった。

 司馬遼太郎曽野綾子、あるいは落合信彦渡部昇一より頼りにされていることを「読まれる工夫」の結果と思いこそすれ、能天気に喜んでなどいない。日垣ももう少しプロの文章を書いてほしい。

佐高信「筆刀直評」(毎日新聞社エコノミスト』1994年10月18日号)P100


 佐高氏の反論は穏当なものでしたが、日垣センセイはこれに味をしめたのか、「敢闘言」で大々的な再反論(?)を展開しました。

 佐高信の憎めぬ幼児性

 私にはとうてい真似できない論法がある。自分を誉めた文章の引用、外見への罵倒、出演を拒んだ自慢話などだ。前号の一〇月一八日号の本誌「筆刀直評」で佐高信氏から、「日垣ももう少しプロの文章を書いてほしい」とご親切な指摘を受けたが、長谷川慶太郎の顔を「ジンマシンでも出るようなおぞましさ」と書いたり、大宅映子は「図体がでかいだけ」で「大女身体のどこにもチエがない」と罵倒するのが、プロの文章というものなのだろうか。

 確かに佐高信氏の文章には、善玉と悪玉をぶった切る痛快さがある。観客を楽しませる技量が彼をプロたらしめたのだろうと私は思う。辛口スナックとしての存在価値は充分にある。しかし彼の発する矢の毒が批判対象に届いているのかは大いに疑問だ。スナックはスナックであって毒ではない。サラリーマンを「社畜」と罵っても、口元に笑みを浮かべてサラリーマンが聞き流してくれるから、総会屋出身の評論家も調子に乗っていられる。ある種の人気投票で司馬遼太郎らよりも佐高信が上位にランクされたことを「能天気に喜んでなどいない」と彼は弁明に努めているのだが、かつて別のアンケートで司馬らに次いで長谷川より上位だったことを『世界』九三年八月号で「嬉しかった」と無邪気にはしゃいでおられたので、今回もさぞご満悦だろうと思い、「われらが佐高信もちゃっかり四九位に入っている」と微量の毒を込めた。ほほえましい幼児性を備えた彼はきっとこの毒を食らうだろうとの予感が私にはあった。ごめんね。

 彼自身も認めているように、圧力をかけたかと思えば提灯記事を垂れ流す総会屋雑誌の編集長だった事実に基づく。日垣を使うなら俺はおりる、と多くの編集部にも圧力をかけてくれた。ありがと*3

日垣隆『敢闘言 さらば偽善者たち』(太田出版、1999年5月22日印刷/1999年5月28日初版発行)P133
日垣隆『敢闘言 さらば偽善者たち』(文春文庫、2002年4月10日第1刷)P112〜113
※初出・日垣隆「敢闘言」(毎日新聞社エコノミスト』1994年10月25日号)


 
 日垣センセイの再反論は……今、読み返すと突っ込みどころ満載であり、それこそ「お前が言うな!」の超弩級のブーメランで大爆笑ものなのですが、明らかにおかしな部分もあるので、検証していきます。

 まず佐高氏は「総会屋出身の評論家」「圧力をかけたかと思えば提灯記事を垂れ流す総会屋雑誌の編集長」ではないと、一貫して否定しています。佐高氏が編集長を務めていたという経済誌『現代ビジョン』、池田房雄氏や草野洋氏なども活躍していた『現代の眼』などは時に総会屋系雑誌と揶揄されることはあったものの、比較的知名度が高く、一般書店でも発売され、正統派のジャーナリズムとして高い評価を受けているものも少なくありませんでした。現在も第一線で活躍中のライターには『現代の眼』などで鍛えられ、ジャーナリズムのイロハを学んだ者も多いです。そもそも、これらの雑誌は経営と編集内容を分離しているものが大半でした。つまり、編集サイドは広告出稿や雑誌の買い取り云々といった経営方針には基本的にノータッチだったようです。従って佐高氏が「総会屋出身の評論家」というのは、明らかな間違いと言えます。「総会屋雑誌の編集長」も微妙な表現ですが。

 また「日垣を使うなら俺はおりる、と多くの編集部にも圧力をかけてくれた。」というのも、日垣センセイが虚言癖の持ち主であることが発覚した今となっては、著しく信憑性に欠けます。寧ろ佐高氏を陥れるための虚偽の可能性が極めて高いです。佐高氏のWikipediaでは、日垣センセイの上記の記述などが「証言」として引用されていますが、重大な誤解を招いている可能性があります。佐高氏を批判するのは結構ですが、日垣センセイの記述を根拠にするのは危険過ぎると言っても過言ではありません。

 実は、この二人の『エコノミスト』誌上での喧嘩について、約4年後に月刊誌『創』で、同誌編集長の篠田博之氏が日垣センセイとルポライター鎌田慧氏の間に起こったトラブルの解説記事の中でも取り上げています。

 実は4年前の94年、日垣さんと佐高信さんが対立したことがあった。当時、佐高さんは『エコノミスト』で「筆刀直評」というコラムを執筆していた。日垣さんが94年10月4日号の「敢闘言」で佐高さんを取り上げたのに対して、佐高さんが10月18日号の自分のコラムで応戦。それに対して10月25日号の「敢闘言」は全文が佐高批判となった。「彼の発する矢の毒が批判対象に届いているのかは大いに疑問だ」「サラリーマンを『社畜』と罵っても、口元に笑みを浮かべてサラリーマンが聞き流してくれるから、総会屋出身の評論家も調子に乗っていられる」などと書いた。

 これに佐高さんが怒った。「総会屋出身」というのは、かつて佐高さんが『現代ビジョン』という経済誌の編集長をしていたことからで、総会屋系雑誌などとそういう経済誌を揶揄して言うことはあるのだが、「総会屋出身の評論家」という表現は穏やかではない。佐高さんは許せない名誉棄損だとして、謝罪訂正を要求した。そしてこの時、編集部がとった裁定が、双方の見解を載せて誌上で戦わせるというもの。今回の裁定とよく似ているのである。結局、佐高さんはこれに納得せず、同誌の連載を降りてしまった。

 今回のケースとよく似ているのだが、違いがあるとしたら、鎌田さんの場合は、佐高さんのように連載を降りるという抗議の手段を持っていないことだろう。

篠田博之「『エコノミスト』巻頭言(原文ママ)に鎌田慧氏の大抗議」『創』(1998年10月号)P44〜45

 上記の篠田氏の記事によると、佐高氏は「圧力」云々ではなく、あくまで「抗議」として『エコノミスト』の連載を降板したのが真相のようです。無論、同記事には「日垣を使うなら俺はおりる、と多くの編集部にも圧力をかけてくれた。」という話は全く出て来ません。

 実際、佐高氏の「筆刀直評」は『エコノミスト』(1994年11月1日号)を最後に連載が消滅しており*4、少なくとも降板そのものは事実と確認できます。

 余談ながら、僕(当ブログ管理人)が日垣センセイの名前を初めて知ったのも、篠田氏の記事がきっかけでした。佐高氏の降板によって一旦は終息した喧嘩でしたが、日垣センセイはその後も執拗にストーカー紛いの佐高批判を延々と繰り返していきました。その顛末は、次回以降で改めて検証します。

★参考文献

佐高信 - Wikipedia

総会屋 - Wikipedia

中沢孝夫 - Wikipedia

敢闘言―さらば偽善者たち (文春文庫)

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敢闘言怒涛編

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*1:[日垣隆「弟の死」]記事一覧 - KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)

*2:単行本及び文庫版の付記。

*3:単行本及び文庫版の付記。

*4:佐高氏の降板後、「筆刀直評」は中沢孝夫氏のみで連載が継続した。