KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)

主に作家の日垣隆、猪瀬直樹、岩瀬達也、岡田斗司夫、藤井誠二などを検証しているブログです。

ATTACK ON HIGAKI−検証・『遥かなる旅』に関する大疑惑

東京ビッグサイトで開催されるコミックマーケット88にサークル参加します。

日時:1日目(2015年8月14日/金曜日)

サークル配置場所:東ホール フ04b

サークル名:カフカールナ!

サークルの詳細については、コミケカタログ(Web)なども御参照下さい。


・同人誌の既刊本が国立国会図書館内にて閲覧可能になっています。御興味があられる方は、同館にお越し下さい。

「ガッキィハンター 日垣隆検証本vol.1『そして殺人者は野に放たれる』の大研究 増補改訂版」

「ガッキィハンター 日垣隆検証本vol.2盗用篇」

「猪瀬直樹検証本 作家篇」

・同人ダウンロードショップのDLsite.comにて、同人誌の既刊「ガッキィハンター 日垣隆検証本vol.1『そして殺人者は野に放たれる』の大研究 増補改訂版」及び「猪瀬直樹検証本 作家篇」電子書籍が販売中です。

「ガッキィハンター 日垣隆検証本vol.1『そして殺人者は野に放たれる』の大研究 増補改訂版」

「猪瀬直樹検証本 作家篇」

 ファイル形式はPDFファイル、価格は「ガッキィハンター 日垣隆検証本vol.1『そして殺人者は野に放たれる』の大研究 増補改訂版」が1,512円。「猪瀬直樹検証本 作家篇」が1,080円です。


・初めて当エントリーを読まれる方は「日垣問題の記録 〜 日垣隆 研究報告 〜」「日垣隆(Wikipedia)」「ガッキィスレまとめサイト@ウィキ」の御一読をおススメします。

・当ブログへの御意見・御感想は、下記のメールアドレスまで御連絡下さい。日垣センセイの学生時代など、情報提供もお待ちしております。情報源の秘密は厳守します。また、貴重な情報をお知らせいただいた方には、謝礼も検討していますので、宜しくお願いします。
kafkaesque1924@gmail.com


●山根昌子『遙かなる旅 戦後史の谷間から』(銀河書房)とは

 日垣センセイの公式サイト「ガッキィファイター」絶版本電子書籍のコーナーには、「電子書籍版 遙かなる旅【日垣隆編集・執筆/故・山根昌子(口述)】」という著作が販売されています。

 ところが、表紙の画像を見ると、「山根昌子」と著者名が記載されていることが確認できます。日垣センセイの名前は表紙の何処にもありません。言わば、『遥かなる旅』の著作者は日垣センセイではなく、山根昌子氏なのです。日垣センセイと山根氏との共著、或いは編著ですらありません。このことは、電子書籍版(PDF)の原典たる山根昌子『遥かなる旅 戦後史の谷間から』(銀河書房、昭和61年8月10日初版第1刷発行)を読めば、一目瞭然です。

 山根昌子『遥かなる旅 戦後史の谷間から』(銀河書房、昭和61年8月10日初版第1刷発行)を確認してみると、表紙、本文、あとがき、奥付などにはいずれも「山根昌子」の著者名があります。「あとがき」で山根氏は次のように書いています。

 稚拙な文章に託してでも、知っておいてほしいという私の思いを、応援し続けてくださった和田登先生は、ご自分のことのように心をくだいてくださった。

 新聞社のSさんと出会い、テレビ局のIさんに出会い、その後多くの方々の励ましと支えの中で、私は今まで歩んでこられたのだ(原文ママ)思う。

 そして、このような拙い文章をまとめる道程をともにしてくださった、銀河書房の日垣隆さん一橋大学の深堀習さんの深い情熱に、すばらしい人間たちを見させていただいた。

 篠ノ井旭高校の先生と生徒たちの手によって、松代大本営を「平和祈念公園」にとの原案がつくられたというニュースに、涙をとめることができないでいる。

 平和よ、永遠なれ!

 一九八六年七月二十日 山根昌子

山根昌子『遥かなる旅 戦後史の谷間から』(銀河書房、昭和61年8月10日初版第1刷発行)P308

 日垣センセイが1985年〜1986年頃まで銀河書房という地元・長野市にある社員15名程の出版社に勤務し、こだまの会『保健室からのメッセージ』(1985年12月15日第1刷発行)などの書籍の編集を担当していたことは、既に検証しました。

夢見るままに待ちいたり−検証・日垣隆「前職の謎」 - KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)

 上記の山根氏の記述は、日垣センセイが『遥かなる旅』の編集を担当していたことを証明しています。日垣センセイが原稿の「執筆」まで担当し、山根氏は「口述」のみで原稿を書いていなかったことなどは、同書の何処にも一切記されていません。

 日垣センセイ自身、『「松代大本営」の真実 隠された巨大地下壕』(講談社現代新書、1994年7月20日第1刷発行/2005年2月14日第5刷発行)で、山根氏と『遥かなる旅』の思い出を回想しています。

出会い

 マツシロはこれまで確かに、地方史的事件としてのみあった。おそらく長野市に生まれた戦後世代にとってすら、せいぜい跡地利用された気象庁地震観測所への遠足スポットでしかなかった。長野市松代町に育った若い世代でも、かくれんぼをするには怖すぎる巨大迷路、と思われてきた。戦時中すでに地元で成人していた世代にとってだけ、心の奥底に秘めておくべき忌まわしい記憶として、松代大本営はあった。

 僕が、初めてその存在を記憶にとどめたのは、八六年六月四日のことにすぎない。すでにマツシロにかかわるいくつかの書物を刊行していた児童文学作家の和田登さんから、編集者であった僕にある女性を紹介したいと電話があって、三人で夜、喫茶店で会った。和田さんは、その女性が走り書きした原稿の束を、僕の目の前に置きながら、実は、と語りはじめて、話をすぐに女性に譲った。その原稿は、和田さんも何冊かの本を出している東京の大手出版社に下駄をあずけたところ、かんばしい返事がもらえなかったという。

 僕は原稿に目を落とした。文章が下手だった。けれども背筋がぴんと張りつめるのを強烈に自覚せざるをえなかった。原稿は帰ってから読みます、話を聞かせてください。

 二時間半、僕は黙って山根昌子さんの独白を聞いた。不覚にも僕は泣いた。八月一五日に出版記念会ができるように、本をつくります、そう約束をした。徹夜して、原稿を読んだ。翌朝、山根さんの案内で松代の地下壕に入った。すべてを歩き通すのに、五時間がかかった。

 僕が勤めていたのは一五人ほどの小さな出版社だったから、営業兼出庫兼編集担当の若造でも月に一冊くらいの本を企画できた。社長に報告すれば、即座に許可をもらえる大らかさがあった。ただし、原稿書きや編集や装丁から書店配本(車に乗って自分たちで配るのである)に至るまで自分が直接担当せねばならない。そんなことは慣れっこになっていた。山根さんは新しい原稿用紙に向かった。章を進めるたびに文章が上達していった。

 三度目に山根さんの店を訪ね、二度目の原稿を受けとったその帰り道、喫茶店で読み終えてから乗った都電の中で、僕は編集者として最悪の体験をした。原稿を紛失したのである。三時間、探しまわって見つからなかった。模型店に電話を入れた。僕は辞職も覚悟していた。そのくらいは当然だと思った。責任をとる、というよりも、職業人としての適性を見限っただけだ。

 先ほどいただいた原稿を紛失してしまいました、僕がそう口にすると、電話の向こうで山根さんは実に実に大きな声で、笑ったのである。腹を抱えて笑ってくれたのだ。
P27〜28

アイデンティティ

 その気迫を、彼女は半生記『遙かなる旅』に結晶させた。その書物の表紙には、帯が縦につけられている。「松代大本営工事に従事させられた朝鮮人を父にもったひとりの女性 いわれなき差別とたたかいながら 北朝鮮に住む家族との再会を求めて海峡を越えてゆく」。僕は帯にそう書いた。山根さんは、できたての本を手にした八六年八月五日、ありがとう、と絶句してくれた。僕は会社に翌日、辞表を出した。
P33

遺言

 九三年の夏、すでに三カ月も入院生活を続けていた山根さんを見舞ったおりに、訊ねてみたことがある。もう七年も前、原稿紛失事件を起こしたあのとき、どうして笑ってくれたのですか。
 
 彼女は無言だった。

 ソウルで韓国人女性記者から、あなたの母が加害の側の日本人だったことをどう思うかと問われたときにも、内面をずたずたにされながら、とつとつと語りえたのは、どうしてなのでしょう。娘さんの結婚式でも、あなたが朝鮮人の血を引きついでいるという露骨な理由で、式に参列することを許さなかった人たちを、なぜ胸に秘め続けて寛恕できたのですか。

 もうそんなことは、どうでもよかった。痛みを背負い続けた人が、たとえ他者のほんの小さな痛みにも、敏感でないわけはない、ただそれだけのことだ。

 「そんなことより」と彼女はいった(原文ママ)。手術のあと、かなり衰弱している、その気力をふりしぼって、彼女はいうの(原文ママ)だった。

 「仕事、マツシロのこと、続けてほしい。どうしても調べてほしいことがあるの。なぜ日本側の資料まで消えてしまったのか、陸軍だけの独走だったのか、県はどう動いたのか、戦後はどう処理されたのか、本当にアメリカ軍までマツシロを無視したのか。だとしたら、わたしはいったいなんだったの? なんのために父を恨んできたの? どうやってそれを償ったらいいの? 悔しいよね。この仕事、バトンタッチしていいかな、ちょっと疲れちゃったみたい」

 一瞬、僕は言葉につまった。山根昌子という女性は、こんな弱音を吐く人ではない。彼女のいわんとするその意味を、僕は了解してはいけないと思った。励ますのだ、それしかないではないか。僕は、自分でも驚くほどの大きな声で、笑った。

 なにいって(原文ママ)んだよ、まったく。主治医の先生からも許可が下りたっていうじゃない。個室に移ってやりたいことをやったほうが治療にもいいって。それに例のアメリカの資料だってもうすぐ届くはずだし、九月一五日から缶詰め状態になって本を書くって僕も約束したばっかりだしさ。山根さんも資料の総点検やらなきゃいけないんだし、うまいもん食べてさ、あと二週間後だぜ、九月一五日は。

 彼女は九月一四日、やすらかな眠りについた。

 この本*1を山根昌子さんに捧げる。
P34〜36

 半年ほど前に山根さんが他界し、友人葬の会場で僕は豊島哲氏に初めて会った。豊島氏は、六ヵ月にわたる米国公文書館での探索が山根さんの「代理」であったにもかかわらず、彼女への報告が間に合わなかった。わずか一日違いで、豊島氏は同級生の棺の中に、そっと文書の束を置いて手を合わせた。そして僕もまた、日本でかきあつめられた資料の分析が、間に合わなかった、いや、開始さえしていなかったのだ。

 その翌日、都内で豊島氏とともに、山根さんの長女夫妻と会い、その席で僕は、マツシロを書くのはもうやめることにした、と伝えた。ほかの三人に、たしなめられて、本書*2はなった。山根さんの執念と、豊島氏の熱情と、そして長女夫妻の全面的協力のもとに、ようやくゴールにたどりつくことができた。これらの人々に応えるには、少なくとも自分なりの維持が必要に思えた。全体の叙述を「新発見」だけで構成しよう、という試みが、それである。
P253〜254

日垣隆『「松代大本営」の真実 隠された巨大地下壕』(講談社現代新書、1994年7月20日第1刷発行/2005年2月14日第5刷発行)P27〜28、P33、P34〜36、P253〜254


 それから、『〈北朝鮮〉はなぜ嫌われるのか』(大和書房 2009年8月5日第1刷発行)では。

 91年の訪朝に当たり、私に何か明確な目的があったわけではありません。私を旅行に誘ってくれたのは、山根昌子さんという女性でした。山根さんは、生き別れになった家族に会うために北朝鮮渡航すると言います。北朝鮮の政府と再会交渉することに不安が多々あったのでしょう。そこで、私も一緒についていったのです。

 94年、私は『「松代大本営」の真実』(講談社現代新書)という本を書きました。大戦末期、来るべき本土決戦に備えて、信州松代の地に地下要塞の建造が進められていた。この松代大本営とはいったい何だったのか。新資料を発掘し、松代大本営の全体像を解き明かしたのがこの本です。

 この本は当初、山根さんと私とが共著で書く予定でした。87年にライターに転身する前、私は長野の小さな出版社で編集者として働いていました。編集者時代の86年6月、児童文学者の和田登さんから山根さんを紹介してもらったのが最初の出会いでした。

 山根さんのお父さんは、松代大本営建設のために朝鮮半島から半ば強制的に連行されてきています。朝鮮から松代の現場に連れてこられて工事に参加し、日本人女性との間に山根さんは生まれました。自分が日本で生まれ、その後苦難の人生を歩むきっかけとなった松代大本営とは何だったのか。山根さんはどうしてもそのことを知りたいと思い、独自に調査を進めていきました。

 和田登さんは、山根さんがまとめた松代大本営についての原稿を東京の出版社へ持ち込んだ。しかし、残念ながら出版は断られてしまいます。長野の出版社であれば、なんとかなるのではないか。和田さんはそう考え、編集者である私に山根さんを引き合わせてくれたのです。

 レストランで4時間ほどお話をうかがい、不覚にも私は泣きそうになってしまいました。ここから私と山根さん、そして私と松代大本営とのつきあいが始まります。86年には、私が編集を担当して山根さんの著書『遥かなる旅 戦後史の谷間から』(銀河書房)を世に送り出すことができました。

(中略)

 私は当初、『「松代大本営」の真実』を書くつもりなどありません。長野の出版社を辞めて87年にライターになると、山根さんからは何度も「松代大本営について本を書いてほしい」と頼まれました。山根さんがお書きになるのを応援はしますが、自分が書くつもりはない。そう言ってずっと断ってきました。その山根さんが、93年にガンで亡くなってしまいます。

 山根さんの葬儀の場で、私は豊島哲さんという方に初めてお会いしました。豊島さんは大学の先生を務めており、山根さんとは小学校時代の同級生です。豊島さんは日本人の元へ養子に出され、日本人として育った。ご自分の生い立ちを隠していた豊島さんにも、松代大本営について知りたいという山根さんの気持ちは誰よりもよくわかったのでしょう。

 豊島さんは1年間の研究休暇を利用し、ワシントンの公文書館へ松代大本営の資料を探しに行きました。山根さんが亡くなったのは、決定的な新資料を見つけた豊島さんが帰国する前日だったー。

 葬儀の場で豊島さんと山根さんの遺族の方々に懇々と説得され、私は『「松代大本営」の真実』を書くことを決めました。

日垣隆『〈北朝鮮〉はなぜ嫌われるのか』(大和書房 2009年8月5日第1刷発行)P41〜45

 上記の日垣センセイの述懐によると、『遥かなる旅』の著者は山根昌子氏であること。その原稿を「執筆」したのは、あくまで著者の山根氏御本人であり、所謂「口述筆記」ではないこと。日垣センセイは版元の銀河書房の編集者として同書の「編集」は担当していても、「執筆」を担当していた事実は無いことが改めて分かります。

 尚、山根氏が1993年に亡くなっていたことなど、その生涯については『琉球新報』のコラムでも裏付けられています。

 いずれにせよ、『遥かなる旅』の著作者は山根昌子氏であることは厳然たる事実であり、死後、その著作権は遺族に引き継がれていると考えられます。何故、日垣センセイが「電子書籍版 遙かなる旅【日垣隆編集・執筆/故・山根昌子(口述)】」と、恰も山根氏の名前を著作者から外すような紛らわしい変更をしているのでしょうか。前述の通り、日垣センセイは『遥かなる旅』の執筆は一切担当していません。日垣センセイがやったのは、せいぜい編集者として執筆のアドバイスをするとか、原稿を赤ペンで添削するとか、完成した原稿を受け取るとかといった仕事でしょう。銀河書房が零細出版社だったために、日垣センセイが完成した本の装丁から書店配本なども手掛けなければならなかった可能性はあります。それでも日垣隆編集・執筆/故・山根昌子(口述)】「この本の編集はともかく、執筆したのは私だ!」と言わんばかりに表示しているのは、どう考えても問題があります。いくら親交があったとはいえ、日垣センセイが公式サイトで電子書籍版として売り出すに当たり、同書の著者名を日垣隆編集・執筆/故・山根昌子(口述)】と表示することについて、生前の山根氏御本人か、または遺族からの許可を貰っていたのか。『遥かなる旅』の著作権を丸ごと譲渡されていたのか。そもそも公式サイトでの同書の電子書籍版の販売の承認を得ていたのかなど、不透明な点が多過ぎます。

 まず第一に、日垣センセイの行為は、著作者人格権の氏名表示権を侵害している疑いがあります。著作権法第19条から。

第19条 著作者は、その著作物の原作品に、又はその著作物の公衆への提供若しくは提示に際し、その実名若しくは変名を著作者名として表示し、又は著作者名を表示しないこととする権利を有する。その著作物を原著作物とする二次的著作物の公衆への提供又は提示に際しての原著作物の著作者名の表示についても、同様とする。

著作権法第19条「氏名表示権」


 そして、著作者人格権著作権と違って、他者に譲渡することができません。

第59条 著作者人格権は、著作者の一身に専属し、譲渡することができない。

著作権法第59条「著作者人格権一身専属性」


 さらに、著作権法第60条は著作者の死後も、著作者人格権の侵害となるべき行為はしてならない、と規定しています。

第60条 著作物を公衆に提供し、又は提示する者は、その著作物の著作者が存しなくなつた後においても、著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならない。ただし、その行為の性質及び程度、社会的事情の変動その他によりその行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合は、この限りでない。

著作権法第60条「著作者が存しなくなつた後における人格的利益の保護」

 また、日本の著作権法の現行法は、著者の死後50年間、著作権を保護するという仕組みになっています。山根氏は1993年に他界していますから、『遥かなる旅』の著作権はまだ切れていません。従って、死後、著作権を継承しているであろう遺族の了解無しには、無断で自炊して販売するのは明確な著作権法違反に当たります。しかし、日垣センセイはこの点についても、きちんとした断り書きというか、説明を一切していません。

 尚、例え「口述筆記」で原稿を仕上げた場合も著作権が発生し、「口述」した人が著作者となります。日垣センセイがそれを分かった上で、日垣隆編集・執筆/故・山根昌子(口述)】と表示しているのかは不明ですが。

 それにしても、日垣センセイの「あれは俺が書いた本だ!だから、俺の著作だ!俺のサイトで電子書籍版として復刊して売り出す!」と言わんばかりに他人の本を無断で自炊し、著者名も勝手に書き換えて自分名義にしている疑惑とか、P&G(パクリ&ガセ)の誰かさんにそっくりです。死人に口なしとか、あこぎな手口が。まあ、誰かさんよりは悪質ではない可能性があります。そういえば、唐沢なをき『まんが極道(現・まんが家総進撃)』第77話「老後後後」にも似たようなエピソードがあったような……いやあ、偶然って怖いです。


★参考資料

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-196212-storytopic-13.html

著作者人格権 - Wikipedia

著作者にはどんな権利がある? | 著作権って何? | 著作権Q&A | 公益社団法人著作権情報センター CRIC

http://chosakuken.bunka.go.jp/naruhodo/answer.asp?Q_ID=0000611

基本その8 著作者人格権

http://www.fukamipat.gr.jp/discusses/discusses_130601.html

http://www.houko.com/00/01/S45/048.HTM

「松代大本営」の真実 (講談社現代新書)

「松代大本営」の真実 (講談社現代新書)

<北朝鮮>はなぜ嫌われるのか?

<北朝鮮>はなぜ嫌われるのか?

進撃の巨人(1) (少年マガジンKC)

進撃の巨人(1) (少年マガジンKC)

進撃の巨人(17) (講談社コミックス)

進撃の巨人(17) (講談社コミックス)

*1:言うまでもなく、『「松代大本営」の真実 隠された巨大地下壕』(講談社現代新書、1994年7月20日第1刷発行/2005年2月14日第5刷発行)のことである。

*2:言うまでもなく、『「松代大本営」の真実 隠された巨大地下壕』(講談社現代新書、1994年7月20日第1刷発行/2005年2月14日第5刷発行)のことである。