KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)

主に作家の日垣隆、猪瀬直樹、岩瀬達也、岡田斗司夫、藤井誠二などを検証しているブログです。

赤頭巾ちゃん、オオカミ中年に気をつけてー検証・日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(補論J)

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 以前、日垣センセイが『そして殺人者は野に放たれる』の中で、1982年10月6日夜に東京都内の某所で発生した精神障害者による殺人事件、いわゆる「テレビ騒音殺人事件」についてデタラメを書き連ねていることを、学術雑誌『法と精神医療』第12号(成文堂、1998年3月30日発行)の講演記事、加害者Aの入院先の担当医だった岩波明氏の著作などから検証しました。

赤頭巾ちゃん、オオカミ中年に気をつけてー検証・日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(その参) - KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)

 その後、事件を取り上げた当時の新聞*1及び週刊誌記事*2などを調査したところ、日垣センセイがさらにデマを書き飛ばしている可能性があることが分かりました。改めて該当部分を検証します。

●両親から民青入りをオルグされた?

※日垣センセイ及び週刊誌記事の原文では、実名が明記されていますが、事件関係者存命などの可能性に考慮して、引用文でも仮名にしています。尚、この改変は著作権法20条2項4号の「やむを得ないと認められる改変」にあたると考えています。

 外で大言壮語しながら家庭の平和一つ維持できない逃避的な教育者や多忙な宗教人にありがちなことだが、異常事件の幾多の例に洩れず、Aの父は中学教師を経て国立市議会の文教委員、共産党市議団長も務めており、母親も元教師で共産党系の組織に勤める熱狂的な活動家だった。

 Aは自宅で一浪して日大経済学部(二部)に進んだ直後、なんと両親から民青(共産党傘下の青年組織)入りをオルグされ、姉と同様、拒絶している。これ以降、親子揃ってする「まともな会話」はこの家族から消える。

日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(新潮文庫、平成十八年十一月一日発行/平成十九年二月二十日四刷)P102

 Aの家族構成とその経歴の記述は、上記の新聞及び週刊誌記事に加え、『法と精神医療』第12号(成文堂、1998年3月30日発行)の講演記事、岩波氏の著作の内容ともほぼ一致しており、大差はありません。

 しかし、後段の記述にある「なんと両親から民青(共産党傘下の青年組織)入りをオルグされ、姉と同様、拒絶している。これ以降、親子揃ってする「まともな会話」はこの家族から消える。」はおかしいです。Aの両親が、AとAの姉を民青に入るように誘って拒絶されたという話は、どの新聞及び週刊誌記事にも書かれていません。『法と精神医療』第12号(成文堂、1998年3月30日発行)の講演記事、岩波氏の著作も同様です。

 日垣センセイが虚偽、捏造、エア取材の常習犯だったことを鑑みれば、後段の記述には日垣センセイによる「創作」疑惑があると言わざるを得ません。


●父親は22年間、一度も息子を叱ったことがない?

 父親*3は二二年間、一度も息子*4を叱ったことがない。事件発生までの一年半の間、二度にわたって大家(殺された九五歳と六五歳)らは父子を呼び出し、これまでの行状を告げて共産党市議を務める父親に「下宿を引き払ってほしい」と懇願している。が、息子は大家に向かって「くたばり損ない」「くそばばあ」などと罵倒し、それでも父は息子を叱正できず、ただ「卒業まで何とか置いてやってください」と頭を下げるだけだった。

日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(新潮文庫、平成十八年十一月一日発行/平成十九年二月二十日四刷)P103

 これも明らかにおかしいです。なぜなら、事件を取り上げた『週刊文春』(1982年10月21日号)にも、そっくりな記事があるのですが、「父親は二二年間、一度も息子を叱ったことがない。」に該当する記述など、同記事には一切ありません。暗にほのめかした部分さえ全くないからです。

 そこで、昨年末から今年にかけて、二度にわたってE家*5では、父親のH*6(58)さんを呼び、引きとってくれと、涙ながらに訴えている。しかしHさんは、「もう一年で卒業だから、何とか面倒をみてやってほしい」と、平身低頭。このとき引きとっていれば、悲惨な事件は防げたかもしれなかった。

 それはともかく、じつはこの“会談”で興味深いシーンがあったー。

 席上、Aの行状について説明するG*7さんに向ってまで、Aは「クソババア」と怒鳴ったのである。ところが同席したHさんはAの洋服をちょっとつまんで引っぱるだけ。大家さんに暴言を吐く息子を叱責することも、殴って“世間常識”を教えることもしなかったのだ。

「音殺人ではなかった 五人刺殺犯Aの報道されなかった殺意」『週刊文春』(1982年10月21日号)P173

 『週刊文春』の記事からは、Aの父親が同席したAを叱らなかったことが分かります。しかし、Aの父親がAを22年間、一度も叱ったことがないという事実は確認できません。念のため、事件を取り上げたその他の週刊誌だけでなく、新聞記事も調べましたが、そのような事実は何処にも全く書かれていませんでした。無論、『法と精神医療』第12号(成文堂、1998年3月30日発行)の講演記事、岩波氏の著作にも。

 ここからは個人的な推測ですが、日垣センセイは上記の『週刊文春』の記事を単にリライトしただけで、後は例によって例のごとくエア取材で自身の妄想を事実であるかのごとく付け加えた可能性が高いです。「相手が加害者なら、その家族も含めて何を書いてもいいじゃん!」と開き直っていた疑惑もあります。

 そもそも『そして殺人者は野に放たれる』は単行本、文庫版のいずれも参考文献リストはおろか、出典・脚注の記載はどの頁にもありません。だからこそ、「どうせ読者も編集者も、誰も調べないからばれやしない」と日垣センセイは高を括っていたのでしょう。

 日垣センセイが『週刊文春』の記事をリライトしていた事実は、以下の部分からも分かります。

 事件の一〇日前、Aは西武新宿線鷺ノ宮駅前の金物店で「復讐のため」刃渡り一六・五センチの文化包丁を買う。「プロが選んだ確かな切れ味」と、そこには書かれていた。

日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(新潮文庫、平成十八年十一月一日発行/平成十九年二月二十日四刷)P103

 凶器の包丁は、犯行の十日前に駅前の金物屋で入手したものだったが、その四千円の包丁の箱には、「プロが選んだ確かな切れ味」とあった。

「音殺人ではなかった 五人刺殺犯Aの報道されなかった殺意」『週刊文春』(1982年10月21日号)P174


 実は日垣センセイは『エースを出せ!脱「言論の不自由」宣言』(文春文庫、2004年9月10日第1刷)P175〜179でも、この事件を取り上げているのですが、そこには次のような記述があります。

 Aの父は中学校教員を経て共産党市議団長にして文教委員、母も党員で小学校の教員だった。すぐに共産党系の弁護団がAについた。日弁連の活動家である彼らによって、心神喪失が正面から争われるのは明らかだった。Aの叔父も「願わくば、病気だったいうことですね。正気であんなことされたら、私らもたまりませんよ」と週刊誌に答えている(「週刊文春」八二年一〇月二一日号)。

日垣隆『エースを出せ!脱「言論の不自由」宣言』(文春文庫、2004年9月10日第1刷)P177

 何のことはありません。日垣センセイは上記の『週刊文春』の記事をしっかり読み込んでいたことが分かります。その上で、同記事をリライトして「(Aは)なんと両親から民青(共産党傘下の青年組織)入りをオルグされ……」「父親は二二年間、一度も息子を叱ったことがない。」など、如何にも共産党出身のAの両親に問題があり、息子を必要以上に甘やかし付け上がらせていたから事件は起きたのだと、悪質な情報操作で貶めているのですから、開いた口が塞がりません。

 余談ながら、上記の「母も党員で小学校の教員だった。」という部分の「小学校の教員だった。」は、不正確な記述です。事件当時、Aの母は既に小学校の教員を辞めて、専業主婦でした。こうした単純な事実関係の確認さえ、日垣センセイは怠っているぐらいですから、『そして殺人者は野に放たれる』の信憑性も限りなくゼロでしょう。


★参考資料

「音殺人ではなかった 五人刺殺犯Aの報道されなかった殺意」『週刊文春』(1982年10月21日号)

『法と精神医療』第12号(成文堂、1998年3月30日発行)

岩波明『狂気という隣人』(新潮文庫、平成十九年二月一日発行)

岩波明『精神障害者をどう裁くか』(光文社新書、2009年4月20日初版第1刷発行)

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

狂気という隣人―精神科医の現場報告 (新潮文庫)

狂気という隣人―精神科医の現場報告 (新潮文庫)

精神障害者をどう裁くか (光文社新書)

精神障害者をどう裁くか (光文社新書)

赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)

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赤頭巾ちゃん気をつけて [DVD]

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*1:朝日、読売、毎日、日経の全国紙4紙。ブロック紙中日新聞など。産経は新聞縮刷版を発行していないため、未確認。

*2:「音殺人ではなかった 五人刺殺犯Aの報道されなかった殺意」『週刊文春』(1982年10月21日号)P172〜175、「「五人刺殺」の惨!日大生を狂わせた“日常の敵意”」『週刊サンケイ』(1982年10月28日号)P28〜30、「五人惨殺事件 日大生・Aは、ほんの小さな音に狂った」『週刊読売』(1982年10月24日号)P21〜23、「五人惨殺!隣の日大生が凶変した心身の事情」『サンデー毎日』(1982年10月24日号)P176〜177

*3:加害者Aの父親。

*4:加害者A。

*5:加害者Aの下宿先の大家(殺された被害者のFとGの2人のこと)。

*6:加害者Aの父親。

*7:加害者Aの下宿先の大家の1人で、殺された被害者のG。