KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)

主に作家の日垣隆、猪瀬直樹、岩瀬達也、岡田斗司夫、藤井誠二などを検証しているブログです。

ナゾノキセキー検証・日垣隆「弟の死」の謎(補論B)

・初めて当エントリーを読まれる方は「日垣問題の記録 〜 日垣隆 研究報告 〜」「日垣隆(Wikipedia)」「ガッキィスレまとめサイト@ウィキ」の御一読をおススメします。
・当ブログへの御意見・御感想は、下記のメールアドレスまで御連絡下さい。
kafkaesque1924@gmail.com



日垣隆「復讐」の論題にかこつけて「弟の死」を延々と語る

当ブログでは、日垣センセイの著作等における弟さんの死*1の記述の変遷ぶりを再三検証してきました。以下はそのエントリーのリンク先です。

The History God Only Knowsー検証・日垣隆「弟の死」の謎 - KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)

A Whole New History God Only Knowsー検証・日垣隆「弟の死」の謎(補論) - KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)

妄想回路の夢旅人ー検証・日垣隆「弟の死」の謎(補論A) - KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)


この検証は、現在に至るまで続行していますが、またもやと言うべきか、『情報の「目利き」になる!ーメディアリテラシーを高めるQ&A』(ちくま新書、2002年9月20日第一刷発行)にて新たな記述を発見しました。「第9話「問題」を抱え続ける」(P90〜101)にて日垣センセイは読者からの質問に答える形で、弟さんの死を引き合いに出して「復讐」などの論題を饒舌に語っています。以下は、その該当部分です。そのまま引用するには分量が多過ぎるため、かなり端折って引用しますが、御了承下さい。

しかし、復讐を本気で20年間も考え続けた私の歪んだ体験に基づいて総括すると、復讐には「(相手に)気づかせる」が本質として含まれていると思われるのです。「(いやというほど)思い知らせる」と言い換えれば、よりわかりやすいかもしれません。

(略)

弟が殺されたのは、私が15歳の時です。殺意がその後20年間も続きました。関係者を殺そうと何度も思いましたし、行動に出たこともあります。問題は、なぜ思い留まったか、ですね。

「私」が殺されようとしたのなら、あるいは「私」が殺されてなおかつ復讐を遂げうるのなら、ある意味で単純です。けれども自分が殺されてしまったら、復讐のしようがない。このあたりまえのことに、実はおそらく「復讐」問題の最も困難なジレンマがあるのだろうと思います。殺人に対する復讐は、主観的には、あくまで代理の報復なのですね。一般的に言って、代理者は、しばしば当人以上に過激になりがちです。正義感もそうです。

でも正真正銘の代理かと言えば、必ずしもそうではない。殺されてしまった当人が、代理を任じる「私」に、犯人を殺すことを本当に望んでいるかどうか、わからないからです。死の直前に「あいつを殺してくれ」と請うたのでないかぎり。私が復讐を誓っていた20年間、やはりずっとこの問題に悩みました。弟は、そんなことを望むような人間ではない。そんなことをして喜ぶような弟ではない。
P92〜93


最初のうちは(私の場合は5年くらい)、加害者の家族を殺そうと考えていました。そのほうが、本人を単純に殺すより、ずっと「思い知らせる」ことができると思ったからです。しかし、一家全滅を図るのでないかぎり、相手の家族の一人を殺しても、その犠牲者には何の罪もないばかりか、犯人以外の周囲の人たちが「最愛の人を奪われる」という不幸な事態を再生産してしまうことになる。それでもいい、と思いもしましたが結局、私には「何の罪もない未知の人」を殺すエネルギーの飛躍はなかった。殺意が実行に移されるには、感情やエネルギーの飛躍が絶対不可欠なのだろうと思います。私には未知の人(犯人の家族)には何の恨みもありません。実際、加害者の家を2度だけ訪ねて(私が中学3年生のときと、高校2年生のときです)、相手の家族を見てしまいました。俺にはできない。それに、たとえ「一家全滅」を図っても、その周囲にまた哀しむ人はいる。

それでも、犯人に対する殺意は消えませんでした。何でおまえだけのうのうと生きている?それが理不尽に思えてなりませんでした。彼本人を、「思い知らせた」末に殺せる方法があるのなら、教えてもらいたい。復讐を誓うのは簡単でも、それを実行するのはまったく異なった別のことなのだと痛感しました。迷わず、公判にかけられない15歳でやっておけばよかったのかもしれませんが、いまは私に守るべきものがあります。それに、相手を殺してしまうと、私は一生「彼」を背負って生きていかざるをえないでしょう。そんな忌々しいことは、ほかにありません。私がいま「彼」に関して望んでいることは、私の記憶から完全に消えてほしい、という一点のみです。「彼」のことを考えるだけでもおぞましい。復讐として「殺す」ということは、究極的には私にとって、関心事のなかから消えてもらうことです。記憶から消し去ること以外に、私にとって「大切な人たち」を守りながら彼を「殺す」方法はほかに見つかりません。その点で私は、すでに復讐を遂げたのだ、と思います。

個人的復讐心が消えたと思えたとき、冷静になったつもりの私は『少年リンチ殺人』(講談社*2を書きました。やはりあの本も、長い目で見れば“復讐”の一つだったかもしれない。そう指摘したいやな奴も少なくありませんでした。確かにあの本は「思い知らせる」ということを含んでいるからです。しかし、個別的な報復では断じてありえません。人を殺すというのはどういう経過を辿るものなのか、本人や遺された家族はどのようにそれを受け止めざるをえないのか。それらを詳細にドキュメントすることにより、同様の加害をなした者たち、またその可能性がある人々にも、そうした事実を「思い知ってほしい」と願って書いたのでした。

途中で何度も止めようと思いながら、最後まで書き続けたエネルギーはどこから来ていたのか。それはー。

殺された当事者も、そして私の弟も、あの本を書くことを応援してくれるだろう、とだけは思えたからでした。いや、これは実際には、生き残った者の問題なのでしょう。冷静に考えれば、そう結論せざるをえません。
P95〜98

日垣隆『情報の「目利き」になる!ーメディアリテラシーを高めるQ&A』(ちくま新書、2002年9月20日第一刷発行)P92〜93、P95〜98


弟さんの不幸な「事故死」を「他殺」に設定を変更した上で、よくもまあここまで詳細かつ御涙頂戴な悲劇の物語をデッチ上げますね。何が「情報の「目利き」になる!ーメディアリテラシーを高める」なのか。しかも、この馬鹿馬鹿しいフィクションをさらに膨らまして嘘八百な復讐譚まで創作しているのですから、改めてゲンナリします。日垣センセイが、自身について「弟を殺された悲劇の当事者」「犯罪被害者遺族」という虚偽の身の上話で他者からの同情を誘いつつ、「でも、復讐を思い留まって、作品に昇華させた僕ってこんなに偉いでしょう!」とナルシシズムの臭気が漂うデタラメな自己アピールまで敢行しているのにも……。

というか、これは日垣センセイの弟さんだけでなく、『少年リンチ殺人』(講談社)で取り上げた犯罪被害者と、その遺族をも冒涜しているのでは。日垣センセイの商売と売名行為に利用された、これらの方々こそ報われないでしょう。贔屓目で考えても、甚だ失礼な行為です。

余談ながら、本書*3について、日垣センセイを「兄貴分」と慕っていたノンフィクションライターの藤井誠二氏が過去に自身のブログで絶賛していました*4。こんな書名詐欺も同然の駄本を「メディア・リテラシーを高めるためのいい教材」と評価していたようです。しかも「現代版「知的生産の技術」の傑作だとぼくは思います。」って、痛々しいのも程があります。

そう言えば、藤井氏は日垣センセイの弟さんの死を「他殺」と信じていたり*5、これまたデタラメを書き連ねた日垣センセイの『秘密とウソと報道』(幻冬舎新書、2009年7月30日 第一刷発行)を愛知淑徳大学の「取材学」の講義の教材に使っていました*6

このような論壇・ジャーナリズムの当事者でありながら「メディアリテラシー」が欠落した人によって、日垣センセイの嘘八百がさらに拡散して撒き散らされ、多くの読者及び業界関係者などが騙される羽目になった一面もあると考えられます。結果論とはいえ、この件に関する藤井氏の責任も重大でしょう。



★参考資料

日垣問題の記録 ~ 日垣隆 研究報告 ~: 弟(兄弟)

秘密とウソと報道 (幻冬舎新書)

秘密とウソと報道 (幻冬舎新書)

ヒカリノキセキ|未来への扉(初回限定盤)

ヒカリノキセキ|未来への扉(初回限定盤)

A Whole New World God Only Knows 神のみぞ知るセカイII/OPテーマ

A Whole New World God Only Knows 神のみぞ知るセカイII/OPテーマ

God only knows~集積回路の夢旅人~ テレビアニメ「神のみぞ知るセカイ」OPENINGテーマ

God only knows~集積回路の夢旅人~ テレビアニメ「神のみぞ知るセカイ」OPENINGテーマ

神のみぞ知るセカイ 1 (少年サンデーコミックス)

神のみぞ知るセカイ 1 (少年サンデーコミックス)

神のみぞ知るセカイ 20 (少年サンデーコミックス)

神のみぞ知るセカイ 20 (少年サンデーコミックス)

神のみぞ知るセカイ 20 (少年サンデーコミックス)

神のみぞ知るセカイ 20 (少年サンデーコミックス)