KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)

主に作家の日垣隆、猪瀬直樹、岩瀬達也、岡田斗司夫、藤井誠二などを検証しているブログです。

痴愚神自讃ー検証・日垣隆『電子書籍を日本一売ってみたけれど、やっぱり紙の本が好き。』(その弐)

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日垣隆「謎だらけのリビア取材」

本書*1のP6から。

エネルギー問題とフェイスブック革命にも関心があった私は、日本の大震災の直前まで(革命後の)チュニジアと(内戦から戦争へと移行しつつあった)リビアに出かけており、帰国後はそのまま北陸に呼ばれていたため、この大惨事の報を受け、いち早く動くことができた。

東京にいたら、自家用ヘリでも持っていない限り即日の行動はできなかったはずだが、帰宅を延期し新潟でレンタカーを借り山形経由で宮城県に入り、これまで見たこともない光景と遭遇することになったのである。

日垣隆電子書籍を日本一売ってみたけれど、やっぱり紙の本が好き。』(講談社、2011年4月28日第1刷発行)P6


日垣センセイの謎が多過ぎるリビア取材。現地での滞在・取材期間の齟齬、脱出時(?)の第1声となった間違いだらけの英語ツイート「I returned from Libya nau! I alive!(原文ママ)」*2にとどまらず、取材自体のエア疑惑まで浮上しています*3

リビアでの滞在・取材期間については、新潮社発行の月刊誌『新潮45』(2012年5月号)に発表した「東北関東大震災2000キロの旅 見えない敵と、見えざる敵と。」でも、日垣センセイは以下のように書いています。

三月五日(土)ー魔女の一撃
三月五日、大先輩の椎名誠さんとの公開対談があった。
P88

三月六日(日)ー避難民
私の出発時、日本では今にも反政府軍が勝利する如き報道一色だったけれども、実際にリビアに入ってみれば、一度も軍隊が来たことのない村にまで政府軍が展開していた。

(略)

エジプトからベンガジリビア東部)に入った記者は一六〇人ほどいる。しかし私が知る限り、チュニジアから入った記者は二人だけ。日本人では私しかいなかったはずだ。
P89

三月七日(月)ー戦地リビア
私がリビアに入るに際して同時に使った車は九台である。チュニジアまで五台、リビアからは四台。いずれも、私は後ろから二台目に乗る。他のすべては警戒用である。ケータイで危険を知らせる。彼らは、リビアの実情を世界に伝えてほしいと強く願っていた。
P90

三月一一日(金)ー津波原発風評被害
P91

日垣隆東北関東大震災2000キロの旅 見えない敵と、見えざる敵と。」『新潮45』(新潮社、2012年5月号)P88〜P91


一方、KKベストセラーズ発行の月刊誌『CIRCUS』(2011年7月号)の「なぜ体力の維持が肝要か」では。

私はと言えば、その直前までの2ヵ月間チュニジア革命の実態と、(カダフィはすぐ逃亡するという99%の専門家やマスコミの意見が本当とは思えなかったので)灼熱のリビア内戦を「この目」で見に行っており、帰国後すぐ3.11の報に接して翌日から東北に入り、新幹線が回復するまで盛岡や宮古や福島や仙台まで「長距離バス」で移動を繰り返していた。

日垣隆「なぜ体力の維持が肝要か」『CIRCUS』(KKベストセラーズ、2011年7月号)P13


日垣センセイが、2011年3月5日(土)は日本におり、作家の椎名誠氏と共に、東京都新宿区の全国身体障害者総合福祉センター(戸山サンライズ)にて公開対談「冒険、人生、家族、親子、継続の秘儀」をしていました。このことは、日垣センセイの当時のツイート*4だけでなく、同対談を取材していた大泉千路氏も、ニュースブログ『JanJanBlog』と自身の公式ブログ『大泉千路のブログジャーナル』にて、「「作家椎名誠×ジャーナリスト日垣隆公開対談」現場報告」と題してエントリーに書いており*5、確認することができます。

つまり、上記の『CIRCUS』(KKベストセラーズ、2011年7月号)の「なぜ体力の維持が肝要か」における日垣センセイの「2ヵ月間」の記述は、完全な間違いなのです。この件に関してCIRCUS編集部に直接問い合わせた方の音声記録(MP3)がYouTubeに残っています。また上記の「東北関東大震災2000キロの旅 見えない敵と、見えざる敵と。」に関して、新潮45編集部にも同様の問い合わせをしている音声記録(MP3)もあります。

日垣隆さんの記事についてCIRCUS編集部にきいてみた

日垣隆さんの記事について「新潮45」編集部にきいてみた


念のために言いますが、上記の音声記録(MP3)において各誌の編集部に問い合わせをしている方は、僕(当ブログ管理人)ではありません。

それから日垣センセイは、「エジプトからベンガジリビア東部)に入った記者は一六〇人ほどいる。しかし私が知る限り、チュニジアから入った記者は二人だけ。日本人では私しかいなかったはずだ。(P89)」と明言していますが、実際には毎日新聞記者の藤原章生氏がチュニジア経由でリビアを取材しており、毎日本紙に「リビア:カダフィ氏肖像は撤去…北西部ナルート・ルポ」と題して記事を書いています。そのWeb版の記事の日付は「2011年3月11日 11時44分 更新:3月11日 12時49分」です。

日垣センセイは、自分以外にも「日本人」の記者がチュニジア経由でリビア取材をしているぐらい、確認したらどうなのでしょうか。本当にエア取材でないのであれば……。



★参考資料

日垣問題の記録 ~ 日垣隆 研究報告 ~: 日垣隆氏 リビア取材期間の齟齬

ジャーナリスト日垣隆のリビア取材捏造疑惑

続・ジャーナリスト日垣隆のリビア取材捏造疑惑

リビア取材検証 - ガッキィスレまとめサイト @ ウィキ - アットウィキ

日垣隆大先生、リビアへ - Togetter

エジプトやリビアで活躍するカメラマン達(と対照的な日垣隆のリビア行き顛末) - Togetter

日垣隆(@hga02104)氏のリビアから震災被災地への高速移動 - Togetter

日垣隆(@hga02104)の「見えない敵と、見えざる敵と。」の行方 - Togetter

日垣隆(@hga02104)は二人いる - Togetter

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