KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)

主に作家の日垣隆、猪瀬直樹、岩瀬達也、岡田斗司夫、藤井誠二などを検証しているブログです。

バカとテストと読書術(その七)ー日垣隆『つながる読書術』検証編(補論)

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・日垣センセイの弟さんの死の真相が明らかになり*1唐沢俊一検証blogのコメント欄でも話題になるなど、各所で静かに波紋が広がっています。そんな中、「日垣問題の記録」さんが、さらに突っ込んだ検証記事を載せています。以下は、そのリンクです。


日垣問題の記録 ~ 日垣隆 研究報告 ~: 問題の新聞記事・判決文と日垣隆氏による記述の一致

日垣問題の記録 ~ 日垣隆 研究報告 ~: 日垣隆氏による兄弟(弟)についての記述・発言一覧

日垣問題の記録 ~ 日垣隆 研究報告 ~: 「日垣隆氏による弟についての記述」への疑問


他にもAmazonレビュアーの【懸垂百回】さんが、「日垣隆は「弟の死」の真相を明らかにすべきだ」と題して日垣隆『少年リンチ殺人ームカついたから、やっただけー《増補改訂版》』(新潮文庫、平成二十二年二月一日発行)に関する従来のレビューを全面的に書き改めて、この問題を取り上げています。

今後、日垣センセイが、自ら真実を明らかにすることは、あるのでしょうか……。いや、『すぐに稼げる文章術』(幻冬舎新書、2006年11月30日第一刷発行)で発覚した「第1の盗用事件」についてさえ、未だに完全沈黙して「無かったこと」にしている日垣センセイには、期待できませんね*2


日垣隆が読書を本格的に始めた時期は?

日垣隆『つながる読書術』(講談社現代新書、2011年11月20日第1刷発行)のP33〜34から。

私自身が「本読み競争」に参加したのは高校三年の三月からです。それまで書店で本を買ったこともなく、本好きの姉にバカにされていました。

「本を読まない男に価値はない」と宣告されたときは、「多感な年頃のかわいい弟に、こんな言葉を投げつけるとは」と少々落ち込みましたが、今思えばこれは、神田川くらいには深い姉心。自分の弟が、侮辱されると奮起するということを知っていたのでしょう(ということに、とりあえずしておきます)。

「負けてたまるか」と意地になった私は、大学入学直前の春休みから「一日一冊」というノルマを掲げ、飲み過ぎや発熱で朦朧としていても本を読み続けました。きつい日は薄いブックレット、読めそうな日は二段組みの分厚い本を、とにかく最後まで読み通す。秘訣は「いったん読み始めたらやめない」ことでした。ほとんどもう、修行と意地の領域(笑)。

当時の大学生には本読みが少なくなく、私は明らかに「出遅れ組」でした。しかし、みんながゆるやかな下降をたどっていく二〇代から三〇代、一定のペースでたゆまず読み続けたことで、アドバンテージが取れたことは確かです。気づけば友人を見渡しても負けないくらいの本読みにはなっていました。

日垣隆『つながる読書術』(講談社現代新書、2011年11月20日第1刷発行)P33〜34



新潮45』(新潮社、2005年12月号)P132〜139の日垣隆マルクスから学んだ七つのこと】から。

全集

高校を卒業するまでまったく本を読まなかった私は、ようやく大学に入ってから、それまでの反動と羞恥と見栄のために、やや過度な読書を開始していました。私が直接または間接にカール・マルクスから学んだのは思想ではなく、むしろその形式です。文筆活動を始めてからの人生の大半を亡命者として過ごした点は、憧れはしましたが、望んでそうすることではありません。

大学一年生のとき私は、無知蒙昧を多少なりとも穴埋めするために新書約一〇〇〇点を端から読むこと、正しいと確信できたら必ず行動に移すこと、社会主義を名乗る国々を自分の目で見て歩くこと、卒業までに全集を一〇種は読破することを自分に課しました。その最初が『ヘーゲル全集』で、次が『マルクスエンゲルス全集』です。なんでも良かったのですが、「マルクス」は同時代の左がかった学生はたいてい読んでいました。話題にできた、と言ったほうが正確かもしれません。二食つき寮費の半月分に相当する『資本論』は、貧乏なはずの寮生の二割くらいは持っていました。

(略)

では、なぜ「全集」を買うようになったのか。全集を編んでもらえる人は偉い。単純にそう思ったからです。

まず量を書いていなければなりません。さらに、時代の制約を乗り越える必要もある。そして、それなりの読者がいないと市場には出ない。出たとしても、増刷は続かない。それに全集がなかったら、書き手の全体像をつかむことは難しい。私は『マルクスエンゲルス全集』を、第一巻の最初のページから第四一巻の最終ページまで、およそ三カ月かかって読み通しました。お恥ずかしいことに、生活と本代と交際費のためバイトで毎月十五万円ほど稼ぎつつ、大学祭の実行委員長やら、投票で選ばれる全学自治会連合の委員長やらを二年生の秋から二年間やっておりましたので、読書はいつも夜遅く帰ってきてからです。

日垣隆マルクスから学んだ七つのこと】『新潮45』(新潮社、2005年12月号)P133


日垣センセイが読書を本格的に開始した時期の記述が、明らかに食い違っています。些末なことかもしれませんが、「高校三年の三月」「大学入学直前の春休み」(『つながる読書術』P33)からなのか、それとも「大学に入って」(『新潮45』2005年12月号P133)からなのか。

また、日垣センセイは「高校三年の三月」まで「書店で本を買ったこともなく」(『つながる読書術』P33)と書店で本を購入した経験がないと断言していますが、実は『信州教育解体新書』(信濃毎日新聞社、平成三年十二月二日)のP244〜245で以下のように述べています。

少額の小遣いをためて、僕が生まれて初めて自分の金で買った本は、藤森栄一著『石器と土器の話』という、はっきりいって専門書に属する一冊だった。昭和四四年のことだ。クラスで、回し読みもした。ルビなどふられてはいなかったが、雰囲気でむさぼり読んだ。たて穴式の住居跡を毎週のように見学して歩き、石器や土器は何箱分も集めていたから、雰囲気でも十分に読めた。わからないところは、頭のいいやつや知識の豊富なやつに、きけばよかった。四年生の好奇心をもってしても降参したときは、大御所たる担任にきけばよかったのである。

日垣隆『信州教育解体新書』(信濃毎日新聞社、平成三年十二月二日)P244〜245


上記の引用部分では、日垣センセイが「生まれて初めて自分の金で買った本」(『信州教育解体新書』P244〜245)を何処で購入したかなどは不明ですが……まさか、自分でこうして自著に書いておきながら、忘れている可能性も。

つながる読書術 (講談社現代新書)

つながる読書術 (講談社現代新書)